明治大学生田キャンパスを訪れた際に、他の大学には見られない設備が残されていることに気づきました。生田神社や大きな動物慰霊碑、星のマークが入った錆びた消火栓などです。キャンパスの奥に進んでいくと廃墟のようなものまであります。これらはすべて第二次世界大戦中に第九陸軍研究所(通称:登戸研究所)が設置されていた名残です。神社や動物慰霊碑は研究中に殉職した人や実験などで死んだ動物の霊を慰めるために建立され、消火栓の星のマークは陸軍を表しています。廃墟は弾薬庫と呼ばれています。登戸研究所は当時、何を研究しているか秘匿されてしました。この記事では戦後も知られることのなかった戦争の裏の顔、「秘密戦」について紹介していきます。
秘密戦は防諜・諜報・謀略・宣伝の4つの要素があります。登戸研究所は秘密戦に向けて第1課から第3課まで置かれました。第1課は風船爆弾や電波兵器などの物理兵器、第2課は毒物・薬物・生物化学兵器・スパイ用品、第3課は偽札の研究をしていました。
秘密戦の実態は目立たないため被害も出ていないと思われるかもしれません。しかし、第1課で研究されていた風船爆弾は偏西風に乗りアメリカ本土まで達しました。終戦までに9000個ほどが放たれ、オレゴン州では6人が死亡し、その他の州でも森林火災の被害に遭いました。和紙とこんにゃくのりが原料で輸入品が不要なうえ、無人で飛行できる点から、大量生産されました。また、敵地に偽札を流通させてインフレーションを起こし、経済を混乱させる目的で偽札が大量生産されました。40億円相当が印刷され、25億円ほどが使用されたとされています。戦争末期にはほぼ無価値になりましたが、それまでは日本軍の物資調達に一役買いました。
現在のロシア・ウクライナ戦争でも秘密戦は行われているでしょう。不特定多数の大衆を社会心理的な手法で導いたり、事実を曲げて言いふらしたりする「宣伝」は日本に住んでいても気づくことができます。近年のインターネットの発展は目覚ましく、サイバー攻撃による秘密戦も展開されていると思います。
22年12月20日の日経新聞朝刊では「現代戦はサイバーや外交、経済などの非軍事面が8割を占める」としています。私たちが思い描く戦争の実像は大きく変わっているのかもしれません。
明治大学平和教育登戸研究所資料館は、毎週水曜日から土曜日の10時から16時まで開館しています。戦争のもう一つの側面に興味を持った方はぜひ訪れてみてください。
【参考記事】
22年12月20日付 日本経済新聞 「サイバー戦争日本の危機(1)戦争「武力以外が8割」