この6日で西日本豪雨災害が発生してから5年が経ちます。2018年7月6日、全国各地で土砂崩れや河川の氾濫が続発しました。中国地方を中心に多くの犠牲者を出し、いまだに行方が分かっていない人もいます。
筆者は当時のことを鮮明に覚えています。その日は小学校の頃から続けているフィギュアスケートの大会が予定されていました。早朝4時に家を出発して地元の広島県福山市から会場である岡山県倉敷市へ母がいつものように車を走らせていました。大きく違うのは天候。土砂降りの雨でワイパーを使っても前が全然見えないほどです。また、普段は高速道路を利用するのですが、土砂災害の影響で通行止めとなり一般道で行かざるを得ませんでした。
下の道を進むうちに道路状況はさらに悪化。大きな水たまりはまるでプールのようで車のボディまで水がくるほどでした。母は現地に到着しようと、危うい状況に遭いながらも車を進めてくれました。私のジャンプのコンディションが良く、とても楽しみにしていたことを知っていたからでしょう。ただ、その大会に出場することはできませんでした。遠方から訪れる選手、審判や役員もいることから、大会そのものが中止されたためです。たとえ開催されていたとしても、私たちはとうてい辿り着けなかったことでしょう。
当時のInstagramのアーカイブを見てみると、福山市から倉敷市へ向かおうと2時間もかけたが到着できなかったと投稿しています。普段なら50分ほどの距離です。当時の災害状況が伝わってきました。
当時は大会に出場したいという気持ちが先走って、身の危険を自覚できていませんでした。その後、新聞社に勤める父の話で、被害の大きさを見に染みて感じました。この災害で2人の配達員が命を落としています。父の担当地区では販売所が水没し、1週間にわたって配達できなかったそうです。テレビでも多数の死亡者が出ていることを目にしていましたが、数字として受け止めただけで、命の重みを理解できていませんでした。父が復旧のために現地へ向かっていたことを覚えています。その時は二次災害のことを考えてとても心配でした。
災害は時間が経つにつれて忘れられていきます。ただ、覚えておきたいのはその災害のことを忘れられず苦しんでいる人がいるということです。建物や道路は修復できますが、人の心はそんな簡単ではありません。皆さんには7月6日を多くの人が犠牲になった西日本豪雨災害の日だと思い出し、防災の大切さを確認する1日にしてもらいたいです。
参考文献
・中国新聞朝刊、「刻む想い誓う復興 広島県坂などで追悼行事」、2023年7月3日、下高充生、二井理江