今月4日に著名人への脅迫容疑で逮捕されたガーシー前参院議員や、「【松本人志氏への提言】審査員という権力」という動画をアップし炎上しているオリエンタルラジオの中田敦彦。それぞれ暴露系や勉強系と、ポップなYoutuberとは一線を画す大人向けの配信者です。この2つの騒動から、個人が簡単に発信者となれる時代の「綻び」を感じました。
◇表現手段の多様化
テレビやラジオ、新聞などのパブリックなメディアが独占的だった時代が終わり、今ではYoutubeやTwitterなどのSNSで、誰でも簡単に意見を発信することができます。手段の多様化については、「表現の自由が高まっている」という肯定的な見方も可能ですが、同時に大きな問題点もあるのではないかと思います。
ひと昔前であれば、影響力を持つのはテレビや新聞など、今では「オールドメディア」と呼ばれることも多いマスコミでした。昨今ではスマホやSNSアプリの進化により、発信媒体は多様化しています。ここに表現の自由の拡大というメリットがあるというのは先述の通りです。公共の電波を使って放送するテレビでは、その公共性や影響力から、事前に様々な人の目に触れ、内部でふるいにかけられたものがコンテンツとして世に出ています。その点で一定の質や正確さは担保されていると言えます。一方のSNSは好きなように発言でき、そこにチェック機関はありません。
また、まったくの一般人でも、あたかも企業や有名人であるかのような外面を作ることも可能になっています。例えば、Youtubeでは登録者数は雲泥の差であろうと、誰でも自身の「チャンネル」を持ち、芸能人と同じように動画を流すことができます。去年12月には、以前はアカウントが著名人本人やオフィシャルなものであることを示していたTwitterの「公式マーク(正式には認証バッジ)」が有料化され、個人の利用者でも自身のアカウントに認証バッジを付けることができるようになりました。
◇受け手と発信者、2つのリテラシーが必要になる
ソーシャルメディアの時代には、情報の受け手であるユーザーのネットリテラシーがしばしば問題に挙げられます。確かに、誰でもテキトーなことをそれらしく言えてしまうネットの中では、それぞれが情報に対する眼力を持っていなければならないと感じます。ですが、リテラシーを求められるのは発信する側も同じです。自分にとって気軽な発言も、他人に深刻な発言と受け取られる可能性があります。
去年の台風15号の時には、静岡が台風で水没したかのようなデマ画像をTwitterに投稿し、物議を醸したことがありました。また、2016年の熊本地震時には、「おいふざけんな、地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが 熊本」というデマのツイートをした男性が、動物園の業務を妨害したとして、実際に偽計業務妨害容疑で逮捕されています。
両者とも「悪ふざけだった」とのコメントや供述をしており、罪の意識や影響力の大きさには気づいていなかったのだろうと思います。SNSの世界は、良くも悪くも、安易さと拡散性を併せ持っています。そんな性格が時には、このような無意識でのフェイクニュースを生み出してしまうのではないでしょうか。
◇誰でも当事者 どうすれば
簡単にインターネットで世論が形成できてしまう時代には、情報を受け取る側も簡単に発信者になれるのに、その自覚に乏しいという実態が、このような問題の根底にはあるのでしょう。
電車の中でもほとんどがスマホに釘付けで、本を読む人を探す方が難しいと感じます。情報が垂れ流しのネット社会では、誰もが当事者と言えるでしょう。
学生である筆者も、自身の文章を発信できる環境に身を置けていることには感謝していますが、いわば「虎の威を借る狐」です。間違った情報を流さないためには、すぐに迎合せず、何事にも一度、立ち止まって考える。そんな思考力が筆者を含めてネットユーザーすべてに求められているのではないかと感じました。
参考記事:
朝日新聞デジタル2023年6月11日配信、「『暴露』動画、注目が稼ぎ生む ガーシー容疑者側にユーチューブ1億円超」
読売新聞オンライン2022年10月3日配信、「台風被害デマ画像、投稿者後悔『だまされたら面白いなと軽い気持ちだった』…無料AIで作成」