「社会」の面白さを多くの人に 中学カリキュラムへの提案

昨日の朝日、読売新聞朝刊の1面には、平和記念公園で横一列に並び、シリアスな面持ちで立つ世界の代表9人の写真が大きく掲載されました。広島平和記念資料館を訪問し、被爆者たちの苦しみを目の当たりにした彼らは、果たして何を考えたのでしょう。世界にある、約1万3千もの核兵器や、バイデン大統領のもつ核のボタンへの思いはどう変化したのでしょうか。

ウクライナ侵攻が続く中、被爆地である広島でのサミットは世界中の注目を集めています。その一方で、G7が何なのかも知らず、興味などない人も一定数いるでしょう。情報化社会が生んだ「自分の興味のあることだけを取り入れられる環境」は、人々の関心を政治や社会問題から一段と遠ざけているように思います。

そんな時代だからこそ、義務教育の段階での政治教育が大きな意義を持つと思います。社会問題に目を向けて考えたり、議論したりし続けることの意義を子どもたちには伝えるべきだと考えています。今までも何度か、中学校での民主主義教育について考えを述べてきましたが、今回は社会科のカリキュラムについての提案です。

ほとんどの中学の社会科では、1、2年生で地理と日露戦争までの歴史を、3年生で2度の世界大戦から現代までの歴史と公民を習います。全国学力テストもこれに沿った領域が出題されるので、教員はそこから逸脱しない範囲で工夫して授業を展開します。しかし私は、公民も1年生から並行して勉強すべきではないか、と思います。

えてして社会科は「暗記科目」と言うイメージが強く、好き嫌いが分かれる教科です。地理、歴史は特に、何のために勉強するのかわからないと言う人が多くいるでしょう。私は中学社会科の教員免許を取得していますが、地理、歴史、公民を学ぶ意義について次のように考えます。

公民では、地球上にいる私たちがこれからどう一緒に生きていくべきなのかを考える。そのために、1、2年生で、地球上にいる人たちの違いや、先人たちがどう生きてきたのかを学んでおく。現行のカリキュラムにはそういった意図もあるのでしょう。

学び始めには、こうした意義を教えたり、そもそも地理、歴史という教科そのものの面白さを伝えたりすることで、子どもたちの学習意欲の向上を図ることもできます。しかし、それだけではどうしても、実社会との結びつきを実感しにくく、地理や歴史ばかりを学んでいるうちに「社会を良くするために考えてみよう」と言う気概を失っていくと思うのです。私も、中学の頃は暗記科目の印象が強く、社会科の学習が私たち一人ひとりの市民性を育むものだとは思っていませんでした。

先に公民で今ある社会問題を取り扱い、それらを解決するためにはどうすれば良いのかを考えてみる。きっとその過程で、「昔はどうしていたんだろう」「他の国ではどうしているのだろう」と言う疑問が出てくるはずです。今ある自分たちの問題を解決するために、地理や歴史の学習が必要だと言うことが実感できるのではないでしょうか。そして、自分たちでも考えることができる問題だ、遠い問題ではないのだ、と言う意識が根付けば、大人になってからも社会問題に興味を持ち続ける人が増えるはずです。

民主主義社会は、私たち一人ひとりの努力によって維持されるものです。私たち大人は、社会に新たに加わってくる子どもたちに、その意義を伝え続けなければなりません。今一度義務教育の役割と責任、その目的を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。