公園で見知らぬ子どもから「遊んで!」…どうすべきだった?

花見などかなり以前の話となった東京とは違い、青森県弘前市では春の風物詩である「弘前さくらまつり」が5月5日まで開催されています。とはいえ、青森でも異例の早咲きで、4月上旬には開花したそうです。

東京に住む筆者は、3月半ばに就職活動の息抜きに友人とお花見へ。天気に恵まれ、公園の桜が満開だったのを覚えています。

(筆者撮影)桜が満開の公園は、花見客でごった返していた。

お弁当を食べ終え、花見客の多い場所を離れ、遊ぶことのできるグラウンドに移動しました。バドミントンに缶蹴りに、キャッチボール。友達と遊んでいると、赤いカラーボールを持った3歳ほどの男の子がやってきて、遊んでと言わんばかりに満面の笑みでこちらにボールを投げてきました。お母さんは10メートルほど先にあるベンチで、友人とおしゃべりに興じているよう。若干遠くではありますが、その子の親がいることを確認し、1時間ほど一緒に遊んであげました。

お母さんも遠くのベンチから、なんとなくこちらを見ていましたが、そのまんま。しかも、私たちとベンチの間には大きな木があり、視界を遮っています。あまりの親の無関心さに違和感を覚えつつも、その場のノリで遊んでしまいました。何もありませんでしたが、果たしてそれで良かったのでしょうか。帰宅後、モヤモヤとしました。

 

もし公園で子どもが遊びたそうに近付いてきたら、どうするか。友人、知人21人にアンケートを取ってみました。

(筆者作成)

「遊ぶ/時間があれば遊ぶ」という肯定的な意見が、半分を上回る結果となりました。その理由の大半が「子どもが好きだから」、「声を掛けてきてくれたら、答えてあげたい」というものです。一方で、見知らぬ子どもと遊ぶことに批判的な意見も。「遊ばない」とした理由としては、「けがをさせてしまった場合に責任が取れない」、「不審者に思われないか」という意見が多く挙げられました。「少しだけ遊ぶ」を選んだ人の中には、子どもを邪見に扱いたくはないが、何かあった時に責任が取れないといった、ジレンマが見受けられました。

また、このような状況では、「不審者に思われそう」「親が心配してしまうのではないか」といった理由から、男性の方が女性よりも否定的な傾向も伺えました。反対に、「自分が若い女性だから不審者扱いされないだろう」と、子どもと遊んであげるという女性もいました。

その場のノリで子どもと遊んだ筆者ですが、もう一度このような状況になったら、遊ばないと思います。子どもがけがをしてしまった時のことを考えてしまうからです。ただ、無邪気に近づいてきてくれた子に冷たく接したいわけではありません。なかなか難しいとも感じます。

子どもを遊ばせる親サイドについても、考える余地はあると思います。今回のような全くのノータッチというのは初めてで、きわめて例外だったのかもしれません。それでも、案外公園には死角があり、目を離した間に連れ去られてしまう空間が存在します。筆者たちは楽しく構ってあげましたが、あれだけ親と私たちの距離が離れてしまっていれば、子どもをいじめていても、親は気づきにくいでしょう。

公園で遊ぶ醍醐味は、外で体を動かす以外にも、知らない子どもとも遊ぶなど、思いがけない関わりが生まれることにもあります。他の大人に優しく接してもらったり、親以外にも地域の人々の見守りがあったり、そういったオープンな社会が好ましいのは当然です。実際に、今回のアンケートでも「昔、自分が大人の人に遊んでもらって楽しかった」という声もありました。しかし、同時に子どもが集まりやすい公園は、わいせつ事件や連れ去りなどの格好の的にもなりやすいのも確かです。

遊んであげる立場と遊ばせる立場。それぞれに心すべき点は少なくないでしょう。「社会全体で子どもを見守る」という理想と親の子に対する重い責任。どちらか一方があれば片方は欠けてもよいのではなく、両方の環境が揃ってこそ、子どもを危険から守っていくことができるのではないでしょうか。

そんな晴れ晴れとした空の下でのもやっとした3月の記憶が、遠く離れた青森で咲き誇る桜のニュースから思い出されました。

 

参考記事:

朝日新聞デジタル、4月16日配信、「弘前さくらまつりが準体制で開幕 宴会も4年ぶりに解禁