「入試とエリート」。朝日新聞の日曜版「GLOBE」の見出しです。「人」で入る米ハーバード大学と「点」で入る東京大学の対比から、日本の大学入試制度改革の動きを取り上げています。
2月25日のあらたにすでは、「私立大と公立大では、AO入試では全体の29%、推薦入試では17%が学力試験を行わず、高校時代の成績も評価していなかった。そのため改革案は、現行の制度では学生の『知識・技能』や『思考力・判断力・表現力』の評価が不十分だと指摘」したことを批判しました。
合格率5.3%のハーバードをはじめ、米国の一流大学は独自のペーパーテストは行いません。日本のセンター試験のような「SAT」もありますが、課外活動の実績や、自らの経験や考えを書いたエッセーが重視されます。この合否を下すのは、学内の専門機関「アドミッションオフィス(AO)」です。日本にもAO入試はありますが、米国の場合は、「自分を入学させれば、大学側にどんなメリットがあるのか」をアピールするプレゼンのようなものだそうです。自分の長所と短所を的確に把握する「自己分析力」と、それをもとに自分の魅力を伝える「自己表現力」が受験生に求められます。決められた課題とゴールを与えたがる日本人にはなかなか難しい選抜方法です。
日本でも「人」を見ようと、東大、京大が今年初めて「推薦入試」「特色入試」を実施しました。しかし、これまでの大学制度改革では、入試方法ばかりが議論になり、教育内容や卒業要件についてはほとんど触れられません。「点」で入った大学は、卒業するのに必要なのは簡単に取れる「単位」だけ。私の場合、大げさに言えば、在学中は大学に行かずとも卒業はできます。「法学士」となっても、法律のことは語れないまま社会へ出で行きます。
私の大学に限りません。偏差値が高く、入学するのに高レベルの「点」が必要を言われる大学でも、現状は同じようだと友達から聞きます。でも、それが悪いとは思いません。就活をしていて、法律を語れることは社会から求められているわけではないと感じています。
もし、グローバル時代のリーダーを養成したいというならば、入試、大学教育、卒業認定、就職のすべての過程で、国が主導となった一体改革は必要なのでしょう。しかし、グローバル時代のリーダーになるといった大きな夢を掲げなくても、何かを自分でしたいと思っている人は、制度には従わずに自力で行動していると思います。一生懸命勉強して、国家公務員になるのもエリートです。でも、大学をサボって、発展途上国へ井戸を掘りに行く友達もエリートでしょう。
米国の入試を真似すればいいのか。そうではなく、これからの若者にどう生きてほしいのか。幅広い議論をした上で、大学入試の「ものさし」を決めてほしいと思います。
参考記事:
6日付 朝日新聞GLOBE「入試とエリート」