開け放たれた体育館の窓から、小さく揺れる紅白幕。正装した両親に挟まれて、恥ずかしそうに歩く制服姿。街で出会う景色に、卒業シーズンの到来を感じます。
先日、成績証明書が必要になって、2年ぶりに母校を訪れました。通い慣れた道を、以前と違った私服姿で歩けば、楽しかった高校時代の思い出がまるで昨日のことのように蘇ります。
わたしの人生を変えてくれた先生は、もう母校にはいません。そう分かっていても、恩師の姿を探してしまうものです。廊下の奥に、職員室の机に、バタンと音を立てて開いたドアの向こうに、先生がいるような気がしてしまいます。
13日から、マスクの着用が個人の判断に委ねられるようになりました。テレビニュースを見てみると、卒業式の映像が流れてきます。マスクなしで級友と最後の時間を過ごせる喜びを噛み締める姿もあれば、感染の不安や「慣れ」からかマスクを着用したままの生徒も多くいたようです。
思えば、2021年の私の高校の卒業式も、全員が着用してのもと行われました。私たちがマスクをつけて過ごしたのは、最後の一年だけでした。そのため、もとの生活をとり戻したい気持ちが強かった気がします。
しかし、入学からずっとマスクと共に過ごしてきた今年の卒業生は、どうでしょう。ニュースには、口元を覆っていないクラスメイトの姿を初めて見て、お互いに少し驚く様子が映っていました。外すことに抵抗を覚える人が多いのかもしれません。
マスク生活はまだまだ続きそうです。13日に実施されたAI調査によれば、通勤時間帯の渋谷スクランブル交差点を行き交う人々のマスク着用率は85パーセント。脱マスク前の10日の調査とは2ポイントしか変わっていません。
私の高校最後の一年は、コロナ禍の制約を最も受けました。私の2学年下、今年の卒業生は、高校生活の全てをマスクと共に過ごしたようです。かわいそうな世代だと、大人たちによく言われます。たしかに、叶わないことが多い高校生活でした。学校行事や部活動も十分にできなかったでしょう。
しかし、「かわいそう」という言葉に、私は少し違和感を持ちます。たとえ思い出の片隅にいつもマスクがあったとしても、今日、旅立ちの日を迎える卒業生は、以前の卒業生と同じくらいの思い入れを持って、この日を迎えていると思います。
窓の外で、早咲きの桜が舞っています。早くコロナ禍が終わってほしいと願いつつも、マスクと共に過ごした時間の全てを否定したくないなと、そう思うこの頃です。
参考記事
14日付 日本経済新聞朝刊 東京 3面「脱マスク、初日は慎重 「個人判断」スタート 都内8割超が着用」