「光の春」 目前に迫るその季節を想像してみる

「光の春」。冬が終わるにしたがって、日の光がどんどん強くなることを言うそうです。旧暦では節分の翌日の2月4日が立春で春の始まりとされていますが、実際は、立春を過ぎてもまだ寒いですよね…。でも「気温の春」より一足早く「光の春」がやってくるので、立春時点では既に冬至の1.5倍ほどの強さで太陽が私たちを照らしています。

2月の上旬、なんか春めいていると感じた日がありました。特段気温が高いわけでもなく、大学への通学路の土手道の両脇は枯れ草に覆われていて春の様子とはかけ離れている。それでも冬の終わりを感じたのは、きっと日差しの強さを無意識で感じ取ったからだと思います。確かによく晴れた日でした。

私は春が一番好きなので、「そろそろ来るな」と思えた瞬間はとても幸せです。でも、いざ春に突入してしまったら、当たり前ですが毎日が春なので、なかなかその喜びを実感できていない。こうした、春よりも春じゃない時の方がその価値を感じるっていう少し不思議なこと、みなさんもありませんか?

東京到着前の寝台特急「サンライズ瀬戸号」(7時04分、筆者撮影)

私は春だけでなく土日も大好きなのですが、ここでも似たようなことが言える気がします。小学生や中学生時代は、週末、家で上履きを洗うために金曜の下校時に持ち帰っていたのですが、私は脱いだ靴を手提げ袋に入れる時間がとてつもなく好きでした。一週間履いたそれはとてもきれいとは言い難く、また、微妙に生温かいのですが、目前に迫る休日への思いを膨らませていると自然と鼓動が高鳴りました。

大学在学時に、「もうお腹いっぱい」と思えるほど行った旅行。家の玄関を出るタイミングを旅の始まりとするのが一般的だと思いますが、私には独自の「旅行論」があります。それは、自宅で支度をしている時間も、旅の一部であるというものです。

普段全然気にしない東北の天気をチェックして、万が一大雪で列車が立ち往生した時を念頭にカロリーメイトをリュックに詰め込んで、「あぁ明日の今頃は秋田にいるんか~」と想像して…。旅がもたらす「非日常」はもう既に始まっていると思います。

何か行動をしていなくても、想像するだけで十分楽しいなぁと最近つくづく。頭の中で考えるだけだったらお金がかからないので、幸せな性分です。

このごろは「光の春」に加えて「気温の春」、地域によっては雪解け水の流れる「音の春」も訪れ、いよいよ春本番です。筆者の住む福岡ではもう「春一番」が吹きました。

昨日、内定先の企業から初任地が言い渡されました。これまで全く縁のない場所だったので、正直これといった感情はありません。3月は新天地での生活をぼんやり想像しながら、最後の福岡ライフを満喫しようと思います。

参考記事:

19日、朝日新聞デジタル「九州北部と山口県で春一番 昨年は観測されず