振り返る スマホのなかった高校時代

筆者がスマートフォンを持つようになったのは、大学に入ってから。もう二年が経とうとしています。今では、スマホは日々の生活に欠かせないものです。電車に乗って周りを見渡すと、ほとんどの人がスマホを手にうつむいているのが分かります。筆者も自由な時間があると、すぐにスマホに手を伸ばしてしまいます。メールを確認したり、ソーシャルメディアを眺めたり。

数年前を思い返してみました。スマホのなかった高校時代、長い通学時間に一体私は何をしていたのだろうと。英単語帳を見たり、友人と話したり。振り返ってみると、不思議と退屈したことはあまりなかったような気がします。とくに印象に残っているのは、車窓から見えた景色です。毎日通る場所は同じでも、季節や時間、自身の感情によって、自分の目にどう映るのかは異なるものです。

大学生になった今でもそこを通ると、当時感じていたことがクリアに思い出されます。自分の進路に悩んだとき。部活で研究が行き詰まって悶々としていたとき。友人と一緒に笑って語らっていたとき。

スマホは私たちに日常にはないような新鮮なもの、刺激的なものを見せてくれます。私たちの世界を広げるのです。けれども、私たちの今、目の前にあるものとの出会いを奪ってしまうこともあります。

大学からの帰り道。電車から美しい夕日が見えました。山に沈んでいく夕日を受けて川がきらきらと光っていたのです。筆者は思わず見とれてしまいました。しかし、他の乗客のほとんどは、スマホに目を落としてそれを気にも留めていませんでした。こんなにきれいな景色が目の前に広がっているのにと、少し残念に思いました。

ソーシャルメディアで日々見ている膨大な情報を強く記憶することは、私にはありません。季節の移ろいを感じさせるようなもの。肌に触れる空気の感じ。風が奏でる音。そのようなものに触れたとき、自分の感情と結びつけられて、はっきりと脳に焼き付けられるのです。スマホはとても便利な道具で、私たちの生活を豊かにしてくれます。その一方で、何気ない日常に生まれる感動を奪ってしまうこともあります。今通っている大学で過ごす時間も折り返し地点に達しようとしてます。何十年後に大学生活を思い返したときに、私の心には何が映し出されるのでしょうか。

スマホとの付き合い方を見直してみようと思います。

 

参考記事:

28日付 朝日新聞朝刊(愛知13版) 10面(オピニオン)