私たちがことばにふれない日はありません。誰かと話したり、何かを読んだり。
朝日新聞では、哲学者の鷲田清一さんがことばからめぐらせた思索をつづるコラム「折々のことば」が掲載されています。手のひらほどの大きさしかないけれど、私の日々に彩りを添える大切な存在です。毎朝読んでいると、はっとさせられたり、心がふっと軽くなることもあります。先日も安藤忠雄さんのことばを読んで、心の霧がすっと晴れたような気持ちになりました。ことばには不思議は力があるものです。
日本語以外のことばにふれているときにも、そのことを実感させられます。私は現在スペイン語を学んでいます。スペイン語は世界で広く話されている言語です。しかし、地域によってことばがもつ色はさまざまです。そのことに私は強く惹かれます。さらに、新たなものの捉え方に接することで、今までとはまったく別のフィルターを通した世界を見ることができます。スペイン語を通じて多くのひとと出会い、自分の「したい!」という気持ちを大切にするようになりました。それまで自分を縛っていたものを振りほどくことができたのです。
ことばは私たちの心を豊かにします。ただ、日々の生活のなかでは、「必要に迫られたから」「役に立つから」といった理由で、ことばと対峙させられることもあるでしょう。資格試験のために言語学習に励んだり、就職活動のためにパソコンの画面とにらめっこしたりして、膨大なことばにさらされるのです。しかし、そんなときであっても、ことばとのふれあいに楽しさを見出せるようになりたいと思います。日々に追われていると、どうしてもそのような時間を削ってしまうものです。私自身、自分が心をときめかせて手に取った本でも、忙しさを理由に机に積んだままにしています。
しかし、安藤忠雄さんのことばにふれて、私の日々に足りていなかったものは、美しいことばの彩りだったのだと感じました。読書の秋はもう過ぎようとしていますが、あたたかい紅茶を飲みながら本を開きたいと思います。
参考記事:
27日付 朝日新聞朝刊(愛知14版) 1面