いじめを防ぐために、クラスメートを「あだ名」で呼ぶことや「呼び捨て」にすることを禁止し、「さん」付けをするように指導する学校が増えているそうだ。
あだ名は親近感を与え、友人同士の距離を縮めることもあれば、時には、身体的特徴やその人の失敗などを揶揄し、傷つけることもある。
クラスメートを揶揄するような呼び方を禁止すれば、いじめ防止につながるとして、一律に「さん付け」を求め、指導することには疑問を感じる。
日本トレンドリサーチが2020年11月に行なった調査では、小学生の校則であだ名が禁止されることに関して、「賛成」18.5%、「反対」27.4%、そして「どちらでもない」が54.1%で最も多くなっている。
「どちらでもない」の割合が高いのは、あだ名によって仲良くなることもあれば、嫌な思いをする人も出てくるという、メリットとデメリットゆえだろう。
筆者自身、小学校や中学校では親しい友達とはあだ名で呼び合っていたし、今でも仲の良い友人にはあだ名を使う。「〜くん」、「〜さん」と呼ぶより、ぐんと距離が縮まるような気がする。一方で、背が高く、痩せていたこともあり、それを揶揄うようなあだ名で呼ばれ、嫌な思いをする時期もあった。逆に、あだ名で呼ぶことによって誰かを傷つけてしまったこともあると思う。それでも、自分達自身で話あったり、喧嘩をしたり、時には大人の助けも借りながら解決できる場合もある。
今思えば、人との距離の取り方や、相手がどう感じるかを身につける貴重な経験だと思う。あだ名は相手と仲良くなりたい、距離を縮めたいという意思を示す手段だ。逆に、ずっと「〜さん」と呼んでいると、相手から壁を作られている、受け入れてもらえていないと思われることもある。一律に禁止すれば、そういった微妙な距離感や感覚を身につけることの妨げになるのではないだろうか。
また、学校で禁止したところで、先生の前以外ではあだ名で呼んだり、馬鹿にしたりすることもあるだろう。小学生でもスマホを持ち、オンライン上でのやり取りをするようになった現代では尚更だ。結局、いじめをする人はするし、見えにくいことでより陰湿なものになる。
児童の呼び方は、お互いの関係性の変化を読み取る重要なサインにもなる。多様な呼び方を禁止することで、そのような変化に教員が気付きにくくなることもあるかもしれない。校則や指導で一律に禁止するのではなく、状況に応じて、個別に対応するのが良いのではないだろうか。
最も重要なのは、相手を尊重することや違いを認めること、そのような感性を身につけることではないか。大人が強制することだけではその感覚は磨かれないし、思考停止したまま「〜さん」と呼ぶことになる。呼び方を指導する際には、そうしなければいけない理由や背景をしっかりと説明してほしい。
参考記事:
11月8日付朝日新聞デジタル「(論の芽)子どもの「あだ名」呼び、どうすれば? 中部大教授・三島浩路さんに聞く」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15467860.html
5月28日付読売新聞オンライン「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる