「東の空が燃えていた」高松空襲と戦後復興

77年前の今日、1945年7月4日午前2時56分から午前4時42分にかけて約2時間、筆者の出身地である香川県高松市は米軍による空襲の被害にあいました。ボーイングB-29の戦隊から降り注がれた高性能爆弾24トン、焼夷弾809トンの威力は凄まじく、1359人が死亡し、1万8505戸が全焼。市街地の約8割が焼失しました。成人男性は出征していたため、犠牲者のほとんどは子供や女性といった民間人。高松市にとって最悪の日でした。

犠牲者の冥福を祈るために、毎年7月3日に高松市中野町にある戦災犠牲者の慰霊堂で慰霊祭が開催されます。昨年までコロナにより中止しており、昨日の慰霊祭は約3年ぶりの開催でした。その他にも、今日4日まで、たかまつミライエ5階にある「高松市平和記念館」では高松空襲に関する展示が開催されています。7月12日から18日にかけては瓦町駅に併設されている「瓦町FLAG」2階で資料が展示される予定です。

高松市中野町にある慰霊之碑

死者1,359人全ての名前が彫られている(6月30日友人が撮影)

青線の内側が空襲の被害を受けたおおよその地域

四国新聞社「21世紀へ残したい香川」参照

郷土史研究家の祖母は当時生後11ヶ月でした。空襲警報が鳴るたびに、家具置き場として使っていた倉庫に隠れていたそうです。当時の家具は木製ですから、空襲され家具に延焼すれば命はなかったでしょう。7月4日未明は、警報が鳴ることなく、突如として空襲が始まりました。祖母の母親は幼子を連れて市街地を逃げ回ったそうです。家は空襲により全焼してしまいました。当時まだ幼かった祖母は生まれた家の記憶がありません。唯一生家を知る手段は、家の屋上にあった花壇の前で兄が笑顔で写っている写真だけだと話してくれました。

後に祖母の夫となる祖父は5歳のときに空襲を経験しました。祖父は当時、高松市の西にある丸亀市に住んでいました。空襲の際は、庭に作っていた直径2メートル、深さ2メートルほどの防空壕に家族4、5人で隠れたそうです。空襲の目標が丸亀市ではないと分かり、防空壕からでて空を見上げると東の空が明るいことに気づきました。高松空襲の火災が空を照らしていたためです。「東の空が燃えている」。そんな感想を抱いたと話してくれました。

筆者の実家近辺は直接空襲に見舞われることこそなかったものの、被害者の死体が転がる残酷な光景が広がっていたそうです。徒歩15分のところにある観光地「特別名勝 栗林公園」には死体の山ができました。実家の前を流れる御坊川(ごぼうがわ)にも大量に浮いていたそうです。灼熱の地獄から逃れようと水辺を探し、息絶えた人たちです。この川の名前の由来は、亡くなった死者を弔うためにお坊さんが駆け回り念仏を唱えたことにあるという説もあります。

 

地元の学生は空襲についてどう考えているのか、香川大学教育学部に通う男性に取材したところ、意外な答えが返ってきました。「空襲によって街を一から作り上げたことが、戦後の高松の発展を支えたことも事実だ」。

詳しく調べると、戦前と戦後で高松の街並みが大きく変わっていることがわかりました。戦前の高松市市街地の地図では小さい道が乱雑に並んでいます。一方、現在の高松市の地図を見ると、南北に縦断する「中央道り」が郊外と市街地を結ぶ大動脈となっています。その他にも大きな道路が碁盤の目状に作られたことで、交通の利便性が格段に高まり、高松は四国の物流拠点へと進化しました。これらの道はまさに高松の戦後復興の象徴です。また、空襲で全焼した香川県庁舎は1958年に丹下健三氏の設計で復活し、建物は丹下建築初期の傑作と評されています。

戦前の高松市の地図、青線内側が空襲を受けたおおよその地域

出典:所蔵地図データベース

丹下健三氏が設計した香川県庁舎東館

香川県庁提供

 高松空襲は悲惨な出来事でした。しかし、人類には苦難を乗り越える強さがあります。戦後の高松は力強く復興し、美しく立派な街へと生まれ変わりました。悲しいことに、戦争の惨禍は現在も起きています。悲劇を繰り返さぬよう努力することは必要です。しかし、それでも起きてしまった場合は手を取り合い、助け合い、復興することが大切です。

取材を通し、故郷の歴史を学ぶ意義を改めて考えさせられました。住んでいた町が空襲によりたくさんの犠牲者とともに一度崩壊したこと。また、先人たちの努力によって街がより良い形で復興したということ。東京など、より被害が大きかった都市の戦災よりも身近に感じます。記事を書く以前に比べて、高松のことを大切に感じましたし、平和への意識が高まりました。今後、夏にかけて各地で戦争に関連する行事が多く開催されるでしょう。積極的に参加し、故郷の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

 

参考記事

読売新聞オンライン 6月30日 「高松空襲 悲惨さ伝える」

https://www.yomiuri.co.jp/local/kagawa/news/20220629-OYTNT50289/

 

参考資料

総務省 高松市における戦災の状況

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/shikoku_02.html

四国新聞社 21世紀経残したい香川 「高松空襲と語り継ぐ活動」

https://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/kurashi/2/

未来に残す戦争の記憶 「深夜に降り注いだ焼夷弾~高松空襲~」

https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/21/