「女子力高いね。流石だね。」
飲み物をこぼしてしまった女子に男の筆者がティッシュを差し出すと、お礼と共にそんな言葉が返ってきました。それに対して、「女子が女子力なくてどうすんだ」と軽くつっこみます。そんな、言わば性差をネタにした会話は、私の周りではそう珍しいものではありません。
「女子力」という言葉について、前々から疑問の声があがっていることを知ってはいますが、いまだに使うことがあり、使われることもあります。この言葉に嫌悪感を抱く人がいることも承知していますが、私が知る限りでは嫌がられたことはありません。それは、好意的な意味で発した言葉を、そのまま好意的に受け取る人が集まるコミュニティに属しているからだと思います。そのことを忘れれば、私もアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)によって人を傷つけてしまうでしょう。時々思い出し自戒しているつもりです。
17日の朝日新聞朝刊で、スポーツ記事に見られるジェンダーへの偏見や固定概念に対する意識調査の結果が掲載されました。①女性アスリートの容姿を「美しすぎる」、男性アスリートの容姿を「イケメン」などとする表現には、違和感を持つ人の方が多かったようです。一方、②男性アスリートの競技の様子を「力強い」「たくましい」、女性アスリートの競技の様子を「しなやか」「美しい」などとすることには、どちらも6割以上の人が「違和感を覚えない」と答えました。
「競技を知ってもらうには、アスリート本人を好きになってもらうのがとっかかりになる。私も『あの人、カッコいいですよね』と言って、競技に興味を持ったことがありますし。自分で苦しんできたはずなのに、全部が全部を否定できないというか。この問題は本当に難しい」
17日の朝日新聞夕刊で紹介されたバドミントン元日本代表の潮田玲子さんの言葉です。現役の頃、競技の成績よりも容姿がフォーカスされることがあり、アスリートとしてではないところで注目されるのはつらかったと言います。しかし、潮田さん自身が話しているように、それをおかしいと声を上げることは難しいのです。「女子力」はもちろんのこと、「美しすぎる」「イケメン」といった取り上げ方も同様です。好意的とも捉えられるが故に、その表現に含まれる偏見が気づきにくく、批判もしづらいのでしょう。
上記の意識調査で取り上げられた①、②はどちらもジェンダーの偏見を含む表現ですが、私も調査結果と変わらず、前者には違和感を覚え、後者には問題がないと感じました。男性の競技の様子を「力強い」「たくましい」、女性の競技の様子を「しなやか」「美しい」と表現することは、男性らしさ、女性らしさというよりは、それぞれの身体的特徴に基づいた言葉であるように感じたからです。しかし、それがメディアで拡散されるという視点に立てば、また結論は変わってくるのかもしれません。
メディアにのせる情報は公共性を踏まえ、偏見を避けなければなりません。一方、日常会話でつい偏見を含んだ表現を使ってしまうように、偏った見方が一部の層の関心を強く刺激することも起こり得ます。友人同士であれば「その方が良い」程度の表現が、メディアでは「そうしなければならない」という圧力を持ち、あたかもそれが正解かのような捉え方をされてしまうのです。
情報の発信に携わる一人として、記事上の表現にはより一層の注意を払うとともに、今後も考えていくべき問題であると感じました。
参考記事:
17日付 朝日新聞朝刊(埼玉13版)16面「スポーツ記事の性差・偏見 どう意識」
17日付 朝日新聞夕刊(埼玉4版)7面「選手としてではないところで注目 つらかった」