先日「高校生の娘からブランド物の財布をねだられたら買ってあげるか?」という議論をテレビで見かけました。筆者は今でさえ巾着を財布代わりにしているので、高校生でブランドなんて!と驚きましたが、今時は普通のようです。インタビューに答えた高校生は「SNSで周りの友人やインフルエンサーが載せているから自分も持ちたい」と言っていました。
承認欲求の温床にもなり得るSNSでは、よく見せよう、綺麗に見せようと良い自分を演出しようとします。特に現代の若者は、簡単の人と比較できる分、全てにおいて百点満点であることを求める傾向が強いのではないでしょうか。向上心が高いことは悪いことではありません。でも、そんな完璧主義が「こうでいなくちゃいけない」と自分を責める強迫観念へと変わっている人は要注意です。
筆者も、やらなければならないことをやらず、ダラダラと過ごしてしまった1日があると、自分を責めてしまいがちです。そんな時は、こんな自分もたまには仕方ないよね、と考えるようにしています。達成することへの強い執着心は、行き過ぎると自分自身を追い詰めてしまいかねません。痩せるための過剰な食事制限や、可愛くなるための整形のやり過ぎは、完璧でいなくちゃいけないという自分への過度な期待と不安から来ているように感じます。
◇一極化する人々の基準 ありのままの自分を愛すには
頑張り過ぎな現代人。SNSで生活を簡単に覗き見られる今だからこそ、他人軸で生きる人が増えています。いわゆる「整形顔」が、大きな目、高い鼻、ぷっくりとした涙袋などと同じような特徴を有しているのも、美の基準を他人に依存していることを示しているのではないでしょうか。自分磨きはあくまで自分のためであって、他人からの評価を得るためにやるのは健全ではありません。何をするにも、自分なりの基準を持っておくことが大事です。
周りからの目を気にするのは、今に始まったことではありません。3畳のアパートに住みながら、ポルシェやベンツに乗る人もいたものです。よく見られたいという感情は、誰にでもあります。しかしそれが行き過ぎてしまうと、表の顔を見せ続けることに疲れてしまうでしょう。
自己肯定感の高い友人に「幸せとは何か」と聞いたところ、「今が幸せだと気づかないくらい普通の日常を送れていること」と返ってきました。時には現状に満足することも必要なのかもしれません。自分は、誰かのためにある必要はないのです。たまには思い通りにいかない自分を笑っても良いと思います。ありのままを受け入れてくれる人を大事にして、自分を自分で認めてあげることが何よりも大切です。
参考文献:
6日付 朝日新聞デジタル 「「裏の自分」も大事に 迷いやむなしさ抱えても きたやまおさむさん」