内視鏡による強制採取は、適法?

春らしい陽気の下、桜を楽しんだ後に新聞を読むと珍しい記事を見つけました。

警察による異例の捜査の是非を問う裁判を取り上げていました。警察が、盗撮目的で住居に侵入した男が飲み込んだマイクロSDカードを内視鏡手術で採取したことの是非を問うものです。覚醒剤取締法違反の容疑者に対してカテーテルで尿を採取することはありますが、内視鏡での強制採取は前例がありません。

男は、18年の3月から10月にかけて千葉県内の住居4軒に侵入。最後に起こした18年10月18日の事件の際に現行犯逮捕されました。

警察は盗撮の証拠として、男が所持していたビデオカメラを調べましたが、データが保存されているはずのマイクロSDカードが見当たらなかったといいます。そこで飲み込みの可能性を視野にCT検査を実施。体内にとどまるSDカードを発見しました。

当初、警察は下剤で排泄させようとしましたが失敗。それでも他の証拠をもとに、男は11月8日付で起訴されていますが、その後もSDカードは体内にとどまったまま。26日には、警察の請求した令状が、裁判官により認められました。手術は2日後に実施され、数十分間程度でカードを取り出すことができました。そこには女性の入浴する姿が記録されていたといいます。

内視鏡のイメージイラスト 先端にミクロスコープが付いている

では、この裁判はどうなったのでしょうか。結果は、このSDカードが証拠の柱となった3件の住居侵入の罪については無罪が言い渡され、現行犯逮捕された10月18日付の事件のみが有罪となりました。

強制採取が適法だったかが争点となりましたが、一審の千葉地裁、二審の東京高裁のいずれもSDカードの強制採取は違法であり、証拠能力を認めないとしました。内視鏡による採取は前例がなく、一審では、1980年にカテーテルによる強制尿採取を認めた覚醒剤取締法違反に関する最高裁の判例に照らして判断しました。ここでは、体内での強制採取について、真に必要な場合は認めるという基準が示されています。すると今回の内視鏡手術は他の証拠もあったことから真に必要な状況という点で疑問が生じます。

判決では、令状を請求する際の警察側の資料についての問題点も指摘しています。内視鏡の形状、手技に要する時間などの記載がなく、リスクについての説明も十分ではないというのです。前例があるカテーテルの挿入に比べて身体に重大な負担を与え、危険性が高いものだとされます。前例、類例がないことから、内視鏡手術での令状請求、発付は慎重になされるべきだと結論付けました。

令状を出した裁判官の対応についても、「内視鏡による強制採取の法律的な問題性を指摘し、資料の追加を指示した経過も認められない」と批判し、令状に欠かせない実質審査を欠いているとの厳しい判断を示しました。

一般市民の素人的な感覚にはなりますが、妥当な判決だと思いました。前例がなく、身体的な損傷の危険性が大きいにもかかわらず、警察からの説明が十分でなかった。それなのに令状が出されたことに疑問を持ちます。また、11月8日付で目撃証言などの証拠をもとに起訴をしており、26日に申請した手術は、「捜査上真に必要といえる場合」ではないでしょう。

司法の全面可視化など、取り調べの際の被疑者の尊厳に対しての考え方は変わりつつあります。こういったグレーゾーンに関わる判決を取り上げる記事は、人権と捜査のあり方を深く考えるきっかけを提供するものだと考えます。

一方で、内視鏡で得られた証拠が否定された例ができたことは盗撮犯や強制性交の罪に問われた人の証拠取得が困難となる可能性はないのか疑問に思いました。さて、「飲み込んでさえしまえば」強制的に体内の証拠を捜査できないと考える人が増えたらどうすればよいのでしょうか。何とも難しいテーマではありますが、考える必要があるからこそ読み応えを感じます。

ちょうど、4月からは成人年齢が引き下げられます。18歳からは責任ある判断を下せる大人と見なされる時代がやってくるからこそ、中学・高校などで判例や判決について話し合う時間を設ければ、司法を主体的に学ぶ力が身につくのではないでしょうか。

判決を紹介した記事が持つ力を、ふと考えた1日でした。

【参考記事】

27日付 朝日新聞朝刊 35面

異例の捜査「違法」判断 内視鏡で体内からSDカード強制採取 千葉地裁・東京高裁