渋沢栄一誕生の地、埼玉県深谷市。「手にもってほっとする木の動物たち」をコンセプトに家族で営む木工房がありました。その名も工房西岡。東京ビックサイトで毎年開かれているデザインフェスタに偶然訪れた際に、出展された光り輝く動物たちの置物に目を奪われました。こんなにも愛らしいウッドクラフトをどうやって生み出すのか。居ても立ってもいられなくなり取材に飛び出しました。
工房西岡の歴史
取材当日、主人の西岡忠司さん(74歳)と娘の順子さんが温かく迎え入れてくれました。工房からアトリエまで、丁寧に案内していただき、お二人の人柄に触れることができました。
工房西岡は忠司さんと奥さん、順子さんの家族3人で営んでいます。かれこれ38年間に及ぶとは驚きです。毎月第2土曜日には、12時から17時までの間にアトリエで販売もしています。企業からの依頼も絶えず、注文を受けると2品作って1品は手元に置いておくのだとか。そのせいかアトリエは、遊び心ある作品で溢れかえっていました。忠司さんは形作りに色付け、奥さんは研磨、4年前から手伝っている順子さんは研磨と経営管理と、分担しながら日々の製作に励んでいます。忠司さんの前職はルアー職人。驚くことに80年代に人気を誇ったルアーブランド「バルサ50」の生みの親でした。
ルアーの経営は立ち行かなくなったと言います。それでも小さい頃から木を削ることが好きだった忠司さんは、36歳の時に木工作家として再スタート。ルアー作りを応用した、ツヤツヤとした仕上がりが特徴です。後に「アウトドア」や「ライフマガジン」といった雑誌で連載を果たし、今では年間200種類以上の動物に命を吹き込んでいます。1週間で完成するものもあれば2年かかる作品もあるそうです。ディスプレイ用オブジェの受注販売のほか、通販やイベントの出展に注力。最近ではスタジオジブリの依頼でキャラクターも手掛けています。コロナ禍で中止になったイベントが12月に持ち越されたため、今月は大忙しです。
ウッドショックの影響
現在、コロナ禍で輸入木材が不足し、木全体の価格が向上するウッドショックという状態が続いています。工房西岡もその打撃を受け、仕入れ値が2.5倍に跳ね上がりました。しかし、相手があってこその商売。相場が上がったからといって売値を上げたくないと訴えます。元々、「こんなに安くていいの」と同業者に言われることもしばしば。手にとって欲しいからこそ、お客さんが買えないような値段では意味がないと言います。今は値上げの回避策を模索中とのこと。なんとかして切り抜けて欲しいと思います。
西岡忠司さんの努力と功績
ここまで順風満帆に見えるものの、工房の経営が安定するまでには数知れない努力がありました。「工房を始めて2、3年は食べられなかった。どんなに作っても売れない時期が続いた」と忠司さんは振り返ります。売れないものはどんどん淘汰されていく世界。それでも大切にしていることがありました。「手にとってほっとする作品を生み出すこと」です。依頼主が何に一番こだわっているのか、その願いを極力叶えてあげたいからこそ、デザイン料はありません。試作の段階で子供が握って離さないものが成功品だと語ります。
忠司さんは中学を卒業後すぐに月島の酒屋で御用聞きとして働きだします。その後、溶接工とルアー職人を経て今の仕事に。小説家の開高健さんや著名な文化人である白洲次郎さんとの交流も生まれました。釣り好きが高じて、開高さんと釣りに出掛けたこともあるそうです。見せていただいた1971年の写真からは2人の仲睦まじい様子が伺えました。「多くの人の言葉に元気づけられ、ここまで来れた」と話します。お客さんの層はバラバラ。筆者世代もいれば、少年時代にルアーのファンだった人が訪ねて来ることがあるそうです。
釣りが好きでおもちゃが好きな忠司さん、あと10年は木工作家として活躍したいと話します。かつて抱いていた模型屋になる夢もまだまだ健在です。
過去には深谷の荒川に集まる白鳥をイメージし、3メートル60センチもある作品を奥さんと2人で完成させたことがあります。力作は現在も市内の道の駅「かわもと」に飾られています。工房西岡の巧みな技術が、これからも多くの人の目に触れることを願います。
あとがき
埼玉県に住んでいるものの、深谷という馴染みのない土地に降り立ちました。工房西岡を目指してタクシーに乗り込むと、「何しに行くの」と運転手さん。事情を説明すると、今どき新聞を読み、取材までする集まりがあるのかと興味を示してくれました。降り際に名刺を渡すと、「大晦日絶対読みます」とうれしい一言。温かい気持ちで取材を済ませた帰りは、忠司さんの車で駅まで送っていただきました。人の優しさに触れ「ほっと」が沢山詰まった一日となりました。来年もこんな気持ちになる日が多くあればと思います。ここまで読んでくれた皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください!