福田、笠原、松本よ。球団への愛着はなかったか。

読売新聞の兵庫地域面には現在、「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶」という連載があります。かつて兵庫県に本拠を置いた球団・阪急ブレーブスが初の日本一を達成して40年。節目の年に、阪急の黄金時代を築いた名選手の足跡をたどっています。その1人目には、福本豊さんが取り上げられています。

1969年入団、88年引退。現役通算1065盗塁の日本記録を持ち、シーズン最多盗塁の世界記録(当時)も樹立。「世界の盗塁王」と呼ばれた福本さんは、誰もが知る阪急の名選手です。引退後はコーチや二軍監督を務め、現在は解説者として活躍中。実況に盗塁のコツを聞かれ「まず塁に出なアカン」。バッターの振り遅れを指摘し「着払いでんな」。適当な物言いが人気を博し、今でも愛されています。

その福本さんは同連載の中で、球団がなくなった時の心情を吐露しています。

「思い出も詰まってたしね」「帰る場所がなくなったのを実感したわ」

福本さんが阪急を去った88年、球団はオリエント・リース(現オリックス)へと身売りされました。「オリックス・ブレーブス」となり、その後「オリックス・ブルーウェーブ」へ。2005年にはオリックスが近鉄と合併し、「オリックスバファローズ」が誕生。「阪急ブレーブス」の面影は完全に消えました。福本さんに言わせれば、残ったのは元ライバル球団の名を背負って戦う別の球団でした。

いま球界は巨人の投手らによる賭博問題に揺れています。福田聡志、笠原将生、松本竜也。3投手はプロ野球の試合結果などを対象とした賭博をしていました。福田投手に至っては、自身が所属する巨人の試合も賭けの対象としていました。巨人の球団社長は「野球史を汚した」と陳謝。今後、3投手には厳しい処分が下されそうです。プロ野球選手としての誇りはなかったのか。球団を裏切るような行為をして恥ずかしくはないのか。そして、球団への愛着はなかったのか。我が身を振り返り、猛省すべきです。

福本さんは11年春、オリックスの球団史を振り返るイベントで、阪急のユニフォーム姿で登場しました。日本シリーズ3連覇を果たした70年代の復刻版デザイン。球団への愛着があってこその選択でした。野球を愛し、球団を愛した福本さん。その姿勢から学ぶべきことは多いです。

 

参考記事:

22日付 朝日新聞朝刊(大阪14版) 1面「野球賭博 選手が仲介」 スポーツ面「『強い態度で調査を』」社会面「3投手 賭博メール削除」

同日付 読売新聞朝刊(同版) 地域面(阪神)「阪急ブレーブス 勇者たちの記憶017」 社会面「笠原、松本竜投手も告発」

同日付 日本経済新聞朝刊(同版) スポーツ面「巨人、チーム編成に痛手」 社会面「巨人社長『球史汚した』」