オリンピック・パラリンピックが終わり、東京も涼しくなって秋の到来を感じる今日この頃。人びとの関心はスポーツから政治へと移りつつあります。17日告示、29日に投開票が行われる自民党総裁選に向けて新聞やテレビは誰が出馬するかを取り沙汰し、党内・野党の反応などを連日報じています。
総裁選関連の記事を読んで最も気になったのは、読売新聞の世論調査の結果でした。誰が次の首相にふさわしいかという問いとともにその理由が示してあります。石破茂さんは人柄、岸田文雄さんは改革意欲とありました。では、河野太郎さんは――?「発信力」とあります。読み進んでいくと「SNSを使いこなすなど高い発信力を買われて新型コロナウイルスのワクチン担当に抜てきされた。」とあり、SNSをうまく活用している点が評価につながったということになります。
確かに河野さんのTwitterアカウントは他の政治家と一味違います。お昼に食べたものを投稿したり、ユーザーと交流したりと親近感が持てます。最近だとYouTubeで大物YouTuberとコラボもして話題になりました。筆者の周りの政治に興味のない友人も河野さんのアカウントだけはフォローしているくらいです。若い層に強いのも納得がいきます。とはいえ、それと同時に発信力が高いという理由だけで支持していいのかと疑問にも思います。
筆者は今年の春学期、大学で情報政治学を学びました。その中でアメリカのテレビ政治が取り上げられました。1980年代、テレビ政治が全盛期を迎え、レーガンが大統領だったころの話です。彼は、政権内に世論・メディア対策を担当する補佐官をおいてテレビを巧みに利用した政権運営を行っていました。例えば、再選をかけた選挙を控えた1984年8月にはロサンゼルス・オリンピックのメダリストとの大規模な朝食会を開き、選手たちと同じ赤ブレザーを着て活躍を祝福する映像が撮影されました。政権側はこうした「絵になる」素材を次々に提供し、テレビメディアはこうした映像を使わざるにはいられませんでした。
また他の場面でレーガン政権の高官は「視聴者は君(=ジャーナリスト)の言っていることなど聞いてはいないよ。彼らは、ただ映像を見ているだけなんだから」と言い放っています。
筆者はこのふたつのエピソードを知って、上辺ではなく政策の内容に目を向けることがいかに重要で難しいことなのか痛感しました。SNSで発信される親近感のある投稿や動画を見ると大半の人は「このひとは良い人そう」「面白そうだから応援しよう」と思い込んでしまいがちです。
棒読みで発信力がないと菅首相が批判されていた分、今回の総裁選で発信力に注目が集まるのも仕方がありません。しかし、本当のところは政治家の良し悪しは政策やその人の政治理念などで決まるべきだと思います。総裁選や衆院選を控えた今、政策に目を凝らし、どの党・議員を評価するか決められるよう努めたいものです。
参考記事:
9月6日読売新聞オンライン「[スキャナー]世論、自民党総裁選に影響」
参考資料:
高瀬淳一『情報政治学講義』、新評論、2005
有馬哲夫『中傷と陰謀―アメリカ大統領選狂騒史』、新潮新書、2004