茨城・常総豪雨被害 いつでも、どこでも起こり得る

「甚大な被害をもたらした」、そんな言葉では片づけられない、片づけてはいけないような気がしてなりません。「また大雨か」、「今度はいつくるのかな」、毎年よくあることのように感じていた数日前の自分に苛立ちすら覚えます。ですが、今日は災害そのもの論じるつもりはありません。月並みな話にはなりますが、このような大きな災害があるたびに「災害に備えて○○しましょう」のような話を耳にする方も多いでしょう。今日はその災害への備えについて、筆者なりの考えを述べ、個人の災害対策についていきたいと思います。ということで、きょうのテーマは東日本の記録的豪雨です。

読売新聞は東日本で降った記録的な豪雨で、鬼怒川の堤防が決壊して広範囲の浸水被害の出た茨城県常総市は11日、東京都江東区の面積に相当する38キロ平方キロメートルもの浸水被害により現在も市内の188人が孤立し、22人が行方不明と発表しました。栃木、宮城両県では、3名の死亡が確認され、宮城県大崎市では渋井川の堤防が決壊し、住宅が浸水する被害も発生、県内では一名が行方不明のままです。茨城県では約3万人、栃木では約1300人、宮城県では約8500人に避難指示が出され、3県合わせて4万人以上に避難指示が出ています。紙面では巨大な帯状に発達した積乱雲「線状降水帯」を原因とするだけでなく、堤防の構造上の課題や、ダムの効果が限定的であったことなども被害拡大の原因とするのに加えて、段階的に発令された避難指示が逃げ遅れを招いたとも指摘しており、人災の面も疑われます。被災者の支援を行いつつ、原因究明や「教訓」を生かした今後の対策にも注目が集まります。

では、本題です。今回のような豪雨に限らず、地震や津波のような災害に備え、どのようなことが必要なのでしょう。これをお読みの方は水や食料の備蓄、避難経路の確認、地域住民との連携など、様々な方策を思いつくのではないかと思います。それらももちろん重要です。ですが、それ以上に大切なことは精神論にはなりますが、「いつでもどこでも起こり得る」という意識ではないかと考えています。自宅に大量の備蓄があっても、常に備蓄品を多少なりとも持ち歩いている方は殆どいないのではと考えられますし、避難経路を確認しておいても、勤務先や通勤通学途中では意味がありません。首都圏のように勤務地や学校と居住地が離れていれば、地域のつながりも活用できません。周りにいる人間の多くは初対面のおじさんでしょう。つまり、そのような状況下では、必ずしも備えは活用できないかもしれないということです。準備してきた物質的、人的な資源が活用できないのならば、この瞬間、この場所でいざという時にどう動くかを考えておくことの方がより重要ではないでしょうか。マニュアルに従うのではなく、咄嗟の行動が自分の身を守ることにつながることも十分に考えられます。

専門家でもない筆者が偉そうなことを書いてきましたが、筆者自身、今この瞬間に何か大きな災害が発生するイメージができていないのが事実です。備蓄品も家のどこかに勝手に「避難」してしまいました。自宅からの避難場所も「多分、あそこの小学校だよね?」のレベルです。マンションの隣人の顔も思い浮かびません。このように反省しなければならない部分も多いことは重々承知しています。ですが、今回被害にあった地域と筆者の暮らす東京23区、明らかな違いも感じ、いつでもどこでも起こり得るからこそ、日本中で頻繁に耳にする同じような災害対策では不足ではとも考えました。そんな思いが今日の投稿を書くに至った経緯です。筆者のように都市部で暮らす皆さん、通常の災害対策にだけでなく、「いつでもどこでも起こりうる」という意識を持ってみても罰はあたらないのではないでしょうか。

参考記事:12日付け各紙朝刊 関連面