26日の朝日新聞の社説を読んで、驚きました。社説のタイトルは「夏の東京五輪中止の決断を首相に求める」。冒頭で、人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとしないと突き進む政府、都、五輪関係者に対する不信や反発は広がっていると述べたうえで、三つの理由をあげています。
1点目は生命や健康が最優先という点です。IOCの「五輪は開ける」という判断と国民の認識のずれは明らかで、市民の生命や日々の暮らしが脅かされるような事態を招いてはならないことや世界中からウイルスが入り込む可能性を指摘しています。
2点目は「賭け」は許されないという点です。リスクへの備えが十分ではないとわかっているのに、問題が起きたら、誰が責任をとるのかと責任の所在について指摘しています。
3点目は「憲章の理念はどこへ」という点です。選手村での行動管理や、事前合宿地の各国選手と住民との交流が難しく、友情や相互理解をうたう憲章が空文化していると述べています。
社説を読んで、驚いたのには理由があります。これまで、日本の大手メディアが、五輪中止を訴える記事やニュースを見たことがなかったからです。一方で、海外のメディアから厳しい見方が多数出ていました。例えば、オーストラリアの新聞のホームページには「望まれないオリンピックに強烈な打撃」という見出しが踊り、ロサンゼルス・タイムズは5月18日付で「コロナの最中、日本人がファンから抗議者に変わった。オリンピックは中止にされなければならない」と題するコラムを掲載しました。
朝日新聞の社説はともかく、五輪開催の是非を明確にしているのは、海外メディアがほとんどです。日本の大手メディアについて言えば、大会スポンサー等、利害関係が複雑に絡み合っているのは百も承知です。ただ、それでも、開催の是非への立場を明確にすべきでしょう。
国民の声を代弁するのが、ジャーナリズムの果たすべき役割であり、社会から託された使命だと思います。
参考記事:
26日付 朝日新聞朝刊(東京13版) 12面 「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」