阪神支局襲撃事件をご存じでしょうか。恥ずかしながら、筆者は新聞を読んでこの事件を初めて知りました。34年前の5月3日夜、朝日新聞阪神支局に勤めていた記者2名が何者かに銃で殺傷された事件です。事件後には、「この日本を否定するものを許さない」「反日分子には極刑あるのみ」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」などと書かれた、「赤報隊」と名乗る人物からの犯行声明文が報道機関に送られました。犯人は捕まらず、2003年に未解決のまま時効を迎えました。
「言論の自由」。これは人間誰もが持っている基本的人権のはずです。物事の一つ一つに対する見方や考え方は人それぞれ。78億人いれば78億通りの考えがあります。自分の考えを持ち、発信することはとても大事なことです。しかし、自らの正義が、誰かにとっての悪かもしれないということを忘れてはなりません。だからこそ、勝手に正当化し、相手に押し付けてはなりません。
日々の中で、考え方が180度違うなと感じる瞬間はたくさんあります。相手の意見を受け入れるということは、そう簡単なことではありません。たとえ受け入れられなくても、相手の意見から新たな視点に気づいたり、自分の間違いに気づいたりすることはできるはずです。
以前、ネットで見つけた言葉に、こんなものがありました。
人が最も残虐になるときは「悪に染まった」ときではない。真偽どうあれ「正義の側に立った」と思ったときに人は加虐のブレーキが壊れるのだ。正義という名の棍棒で悪と見なした者の頭を打ちのめす快楽に溺れてしまうものだ。
自分の考えを全て「正義」と考えてはいませんか?相手の意見を「悪」だと勝手に決めつけてはいませんか?考えが違うからといって、相手を暴力で潰すようなことは絶対にあってはならないと強く思います。
参考記事:4日付 朝日新聞(愛知14版)21面 言論守る 忘れぬ誓い 阪神支局襲撃事件から34年