いつ頃からでしょうか、私は自分ができることに目安を設けるようになったと思います。対人関係で言えば、こういう性格の人とはうまくいくけど、こういうタイプとは一筋縄ではいかないというように。過去の経験からの目安に無意識のうちに縛られていました。しかし、つい最近、自分とは馬が合わないだろうと思っていた、同じサークルのメンバーと案外気が合うことに気づき、自分に対する理解が誤っていると思いました。
もちろん、自分がどこまでできるのかという基準を持っておくことが重要な場合はあります。こなせる仕事量が分かっていないと適切な計画は作れません。しかし、基準を決めてしまうことでそれ以上のことへの挑戦を避けてしまいかねません。
もう一つデメリットがあります。それは人生が予定調和に終わってしまうことです。自分ができることの予想がついてしまうことで、やってみる前の期待感、緊張感や、できた時の驚き、感動が薄れてしまいます。
そんなことを考えているなかで、2日付の朝日新聞の朝刊に出会いました。競泳の池江璃花子選手が紹介されていました。私は池江選手と同い年で彼女の活躍を以前から友人などと見てきたので、注目しました。彼女は2019年に白血病と診断され、闘病生活を経て、昨年8月に実戦の舞台に戻ってきました。今年2月のジャパンオープンでは復帰後初めて表彰台に立つなど、自身も周囲も驚くほどの回復を見せています。池江選手は「全力で楽しみたい。どこまで行けるんだろうというワクワクした気持ちが強い」と述べています。
彼女は幼いころから水泳を行っており、その経験は極めて豊富です。しかし、白血病の診断以降、それまでの「自分はここまでできる」という見通しが一旦リセットされ、復帰後の今は模索している途中なのではないでしょうか。
今の自分自身の身体能力について知り切れていないことの不安感はあると思いますが、それを「ワクワクした気持ち」というようにポジティブにとらえられるところに池江選手の強さがあると思います。
振り返ってみると、中学生の頃の私は様々なタイプの人と積極的に関わったり、激戦覚悟で生徒会の役員選挙に立候補したりするなど、今の私以上にあらゆることに挑戦していたのだと思います。この年頃は無邪気とかやんちゃとか言われますが、そこには「世間知らず」だけでなく、「自分知らず」もあるのかもしれません。決して平穏とは言えなかったけれど、自分について知り切れていないことによるあらゆる物事へのワクワク感は、今となっては貴重な思い出です。
数十年も生きていれば、どうしても自分というものを決めつけてしまいがちですが、それが必要とされる場面は思ったより多くありません。また、その決めつけ自体が正しいとは限りません。
無理に自分を知ったつもりにならず、真っ白な気持ちをもって、自分を探求するワクワク感を再び味わえるように心がけることが大切。記事の中の池江さんは私に語り掛けているようです。
参考記事:
2日付 朝日新聞朝刊(福岡13版)12面(スポーツ)『池江 第二の水泳人生に「ワクワク」』