お昼のワイドショーを見ていた時のこと。東京五輪・パラリンピック大会組織委員会、森喜朗会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などの女性蔑視発言問題をめぐり、芸能人が議論をしていました。それを見て友人が「今の時代こんな発言したら叩かれるってのがわからないのかな」と一言。テレビに映るタレントさんも、「時代は変わったのだから」と森会長を批判していました。
しかし、「時代が変わったのだから」とか、「この発言をしたら叩かれるでしょう」と言う人が多いことには違和感を持っています。
たしかに今回の女性蔑視発言が問題視されるのは、「世間様の価値観が変わった」ことも一因ではあります。しかし大本の原因は、「男性か女性かという括りでは、仕事の能力に差がないから」であるはずです。筆者が「時代は変わったのだから」という言葉に抱く違和感の正体は、「私も本音では森会長の言うことに一理あると思うけれど、世間ではそれが良くないことになってきているんだよ」というニュアンスです。本当に性別関係なく対等に生きられる世界を、心のどこかで「理想論」「きれいごと」と捉え、自分の価値観にまで落とし込めていない人はまだまだ多いのではないでしょうか。
確かに、世間で通じる価値観は確実に変化しています。「時代は変わった」という言葉を「森会長の価値観が古すぎる」という強い批判の意味を込めて使っている人もいるでしょう。しかし、ここばかり強調されてしまうことで、問題の本質が埋もれてしまう危険性があるのではないでしょうか。
「今の時代はこうだから」「世界ではこうだから」を理由にして、「これは良くない」とする。「〇〇が怒りそうだから」といった言い回しで、本当の問題点をはっきりと言葉にしない姿勢に通じます。これでは、問題を訴え続けている弱者に歩み寄ることはできないし、解決は遠のいてしまいます。
どうして当事者が怒っているのか。訴える人の声に真摯に耳を傾け、自分の持っているかもしれない固定観念を疑い、自らの頭で何が正しいのか考えることが必要不可欠だと思います。
これは、森会長に批判的な人たちだけでなく、会長自身やその周囲にも言えることです。会長から「オリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切な表現」「深く反省しています」との言葉はありました。しかし果たして、会長は自身の持つ価値観と向き合ったのでしょうか。「『オリ・パラ精神』と比較して『不適切』だった」のではなく、「自身の固定観念が間違っていた」と気付けたのでしょうか。そうでないならば、このまま森会長がトップでオリンピックの運営をしていくことには大きな不安を覚えます。
参考記事:
10日付 朝日新聞朝刊(愛知14版)1面「許さぬ『白』」関連記事4、13、26面
10日付 日本経済新聞朝刊(愛知12版)41面(スポーツ)「スポーツの力 旧態依然 蔑視発言生む」関連記事43面
参考資料:
YouTube 朝日新聞【ノーカット】森喜朗会長、会見で謝罪、発言を撤回、辞任は否定