未来を予言? アートの力

先日、面白い記事を見つけた。9月8日の朝日新聞朝刊の24面「現代アートに予言の力? コロナ禍・五輪延期・黒人差別問題…」という見出しの記事だ。

記事によれば、現在開催中の美術展「ヨコハマトリエンナーレ」で、コロナ禍や五輪延期をまるで予言したかのような作品がある、というのだ。その理由として、「アーティストたちは注意深く、日常の中で埋もれたものや見過ごされたものを見つめたり、角度を変えて見たり、過去に学んだりすることを通じて表現するため、結果的に未来の予言に映る」のだと述べていた。

果たして、アートには未来を予言する力があるのだろうか。今朝の日本経済新聞の12面「バンクシーに学ぶ発信力 消費者動かす『毒舌』『不良』」では、「クリエーターは未来を予見し、私たちには以前のような色彩では物を見させない」という世界的経営者ベルナール・アルノーの言葉が引用されていた。

これらの記事を読んで、私は覆面アーティストであるバンクシーについて考えた。

白人警察によって黒人男性が殺害された「ジョージフロイド事件」を題材にした彼の作品は記憶に新しいだろう。星条旗の前に、遺影のような写真や花束が置かれている。そして、星条旗の一角にはろうそくの火が燃え移っている。

ジョージフロイド事件を受け、自身のインスタグラムで公開された作品

ブラックユーモアあふれる力強い作品だ。最初に目にしたとき、私は遺影の写真に描かれている影のようなシルエットはジョージフロイド本人だと結びつけた。だが考えるうちに、現代アートはそんな単純なものではないだろうと思い至った。

アーティストはただ一つの出来事を表現するのではなく、「予言した」と言われるほどに時代を超えた目に見えないメッセージを作品に込めている。バンクシー作品で描かれているシルエットは誰の姿でもない黒い影である。だからこそ、彼はそこに、幾度となく繰り返されてきた黒人差別問題の犠牲者すべてを表しているのに違いない。現在へと続く長い黒人差別の歴史に対する強い抗議のメッセージが、静かに、だが確実に、伝わってくる。

では、もしこの作品が未来の世界でまた脚光を浴びることになったら、それは未来を予言したことになるのだろうか。仮に50年後の世界でも黒人差別問題がまだ社会に根強く残っており、その時バンクシーの作品が再度人々の共感を呼んだとしても、それは決して彼が50年後の未来を予言したことにはならないだろう。むしろ、社会が50年前の歴史から進歩できていない、ということだ。

アーティストはその時々の時代を作品に表現しているのだから、そのアートに「予言力」があると言われる限り、我々は同じ歴史の失敗を繰り返しているということなのだと思う。

バンクシーは社会の人々の思いを、「アート」という目に見える形でタイミングよく表現する。彼の皮肉が込められた作品は時代を写す鏡でもあると同時に、社会の声を代表した一つの抗議の表れである。それに多くの人々が共感するからこそ世界中で話題になり、自身のインスタグラムには1千万人以上のフォロワーがいるのだろう。しかし、彼のアートを見ていると、今の人々がこれほど共感する作品が、未来を予言するものであってはいけないという危機感も抱いてしまう。

現在、「バンクシー展 天才か反逆者か」が期間限定で開催されている(横浜は10月4日まで、大阪は10月9日〜1月17日まで)。この機会に足を運んでみよう。

参考記事:

8日付 朝日新聞朝刊(東京13版)24面(文化・文芸)「現代アートに予言の力? コロナ禍・五輪延期・黒人差別問題…」

11日付 日本経済新聞朝刊(東京11版)12面(企業1)「バンクシーに学ぶ発信力 消費者動かす「毒舌」「不良」」