戦後75年 平和について考える

「8月6日は何の日」「8月9日は何の日」

アルバイト先の予備校で問うても、あまり答えが返ってきません。あっても「原爆投下の日」というだけ。どの都市に落とされたのかを聞くと、答えられない子供たちがほとんどです。なぜなのでしょうか。原因を考えてみました。

その一つとして指摘したいのが、東京では黙とうのサイレンがならない地域もあるということです。わたしの地元、福岡県糸島市では、8月6日、9日、15日のそれぞれで、1分間の黙とうの前に何の日であるかを無線で説明します。毎年恒例のものであったために、上京したときは、なぜ黙とうのサイレンがならないのか不思議でなりませんでした。

もう一つは、修学旅行での平和学習は全国一律ではないということです。静岡県から上京した友人は、修学旅行先は、小学校で東京、中学校で京都や奈良だったようです。秋田県に住む友人も、小学校で北海道、中学校で東京など、平和学習とは無縁であったようです。一方で、わたしの故郷の小学校では、長崎を訪れるのが定番で、修学旅行は平和学習の一環であると教え込まれてきました。長崎では、原爆資料館、平和公園などを見て回り、被爆者の方の講話も聞くなど、中身の濃いものでした。

もちろん、黙とうは自主的に行えばそれでいい。こう感じる人もいるかもしれません。確かに個人の問題でしょう。それでも、日本全国で黙とうのサイレンを鳴らすことで、原爆投下という過去を改めて認識し、風化を防ぐことにつながるのではないかと感じています。

修学旅行に関しては、金銭面や安全面の問題で、遠くまで出かけることが難しいという問題もあるかもしれません。しかし、戦後75年が経ち、被爆者の方の声を聞ける機会も少なくなってきています。今なら移動せずとも、オンラインなどで簡単に繋がれる時代。オンラインを用いた平和学習などで平和の大切さを改めて考える機会を作れればと思います。

参考記事

15日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面「きょう終戦75年 コロナ受け追悼式縮小」関連記事10面、27面