少しずつ外出する機会が戻ってきた。先日、駅に向かって歩いていたお昼頃。太陽が照りつける中マスクをつけていたため、駅に着く頃にはマスクの中に熱気がこもり汗だくになっていた。自粛生活で体力が落ちたのか、本当に熱中症になるかと思い、思わずコンビニに立ち寄ってペットボトルの水を買ってしまった。しかし、どんなに暑くてもマスクを外すという発想にはならなかった。周りの目が気になったからだ。
思い返せば、緊急事態宣言下では自粛要請に応じない人や店に対して、攻撃的な嫌がらせをする「自粛警察」が話題になった。営業を続ける飲食店の前に人が集まり、「営業やめろ」「帰れ」などと怒鳴り合う事態もあった。
だが緊急事態宣言が解除されてからは、「自粛警察」ならぬ「マスク警察」が登場しているそうだ。街中でつけていない人や、付け方が間違っている人に対して威圧的に注意する人が増えているという。
こうした「警察」が問題になる背景には、日本社会に根付く同調圧力や「空気を読む」従順な国民性があると思う。たしかに、都市のロックダウンなどの強硬手段を取らなくても、自粛の呼びかけだけで感染拡大を抑え込めたのは事実である。しかし「社会の目」を気にする意識が行き過ぎると、過度な不安感やずれた正義感がはびこりだす。
マスク着用に関しては既に、厚生労働省が「夏期の気温や湿度が高い中でマスクを着用すると、熱中症のリスクが高くなる恐れがある」として「屋外で人と十分な距離(少なくとも2m以上)が確保できる場合には、熱中症のリスクを考慮し、マスクをはずすよう」5月に呼びかけていた。
アフターコロナの新しい生活様式として、マスクを着用することはマナーの一つになった。だがあまりにも周りを気にしすぎて真夏でもマスクをつけたままだと、今度は熱中症の危険性が高まることを、私は身をもって感じた。街を歩く際、周囲に人がいなければその場に応じて外すのは問題ないだろう。
それよりも、感染拡大を押さえ込んだ同調圧力が高じて「暗黙のルール」を生み出し、過度な相互監視とストレス社会を作ってしまうことを私は懸念する。
参考記事:
29日付 朝日新聞デジタル 「BCG接種?交差免疫?日本のコロナ死者なぜ少ない」