文部科学省は、中学生の携帯電話やスマートフォンについて、学校への持ち込みを条件付きで容認することを決めました。登下校中に災害や犯罪に巻き込まれた時の緊急連絡手段として有効だと判断したためです。7月中にも全国の教育関係機関などに通知します。
私は基本的に賛成です。ただし、持ち込みの可否について、大人が勝手にルールを作るのではなく、生徒が主体的に考えて議論する場を設けることが大前提です。
私は校則が厳しい高校に通っていました。「携帯所持・寄り道禁止」「下着は白色のみ」「女子の頭髪はショートカットまたは三つ編みのみ」「眉毛の手入れ禁止」。生徒会はありましたが、校則改革の提案どころか、議論することも禁止。要するに、決められたルールの中で生きていくしかなかったのです。その結果、おかしいと声をあげることも出来ず、3年間我慢する状態が続きました。
時には、ルールの中で行動しなければならないこともあるでしょう。しかし、学校教育の場で自ら考え、議論することは、これからの人生にも繋がるほど重要なことなのです。例えば、大学のゼミでは、それぞれが考えを持ち寄って話し合うのは当然です。アルバイト先でも定期的に店の戦略や方針について議論します。自分の意見を示すことは様々な場面で求められます。
大学に入学したてのころは、思うように自分の意見を言えず、苦労しました。恥ずかしい気持ちもあれば、議論しても何も変わらないというあきらめもありました。でも、意見を交わす中で、相手の考えを理解したり、指摘されたことを基に内容を練り直したりと、自分にも周囲にも良い相互作用を生んでいることに徐々に気づきました。
中学生のみなさんにも、議論することを通じて、物事は自分たちで変えられるということを強く実感してほしい。そう願っています。そして、大人は議論が暴走したときに歯止めをかける程度に自制して、温かい見守り役に徹してほしいと思います。
参考記事:
25日付 朝日新聞朝刊(東京14版)35面(社会)「中学へ携帯持ち込み 容認」
25日付 日本経済新聞朝刊(東京12版)39面(社会)「中学にスマホ持参 容認」
25日付 読売新聞朝刊(東京13版)27面(社会)「中学スマホ ルール課題」