4日、麻生太郎財務相は参院財政金融委員会で、日本の新型コロナウイルス感染症による死者数が少ない理由として「民度のレベルが違う」と自説を展開した。
麻生財務相ほど露骨ではないものの、ワイドショーに出ているコメンテーターが、日本人の衛生観念、国民性のおかげで死者数を抑え込めたのでは、と語っている場面はよく目にする。
確かに、政府の感染拡大防止策が中途半端だったにも関わらず、何故か死者数が少ない、これは日本人の国民性のおかげだ。そのように結論づけたくなるのもわからないでもない。だが、これは間違いである。
統計サイト「ワールドメーター」の5月19日時点の報告によると、人口100万人当たりの日本の死者数は6人で、数百人単位で死者数のいる欧米と比べると桁違いに少ない。しかし、感染が最初に確認された中国は3人、韓国は5人、インドも2人と日本に限らずアジアにおいて死者数は極めて少ないのである。
(主な国の新型コロナによる死亡者数:日経新聞より引用)
中国、韓国、インドは日本とは国民性も衛生意識もかなり異なるはずだ。しかし、死亡者数は日本とほぼ同じかそれ以下である。つまり、東アジアに共通する何らかの要因が影響したと考えるのが妥当であろう。日本人の国民性も衛生意識も、もちろん麻生財務相が言うような「民度の違い」も要因ではないのだ。
かつて、日本人のすばらしさがことさら強調されていた時代があった。満州事変(1931年)から太平洋戦争(1945年)にかけてである。この時代には、「魚を食べるから日本兵は強い」や「日本人の底力、粘り強さは米食からくる」、はたまた「体毛の薄い日本人は体毛の濃い西洋人より進化している」などこちらが恥ずかしくなるような「日本人スゴイ論」が展開されていた。
現在もこの時代までとは言わないもののそれに近い風潮があるのではないか。「国民性はすごい」、「衛生意識が違う」、「清潔好き」、「民度が違う」等々。あちらこちらから自画自賛の「日本人スゴイ論」が聞こえてくる。
新型コロナウイルスの第一波がひと段落し、結果として死者数を抑え込むことができたのは喜ばしい。気持ちとしては、「日本人はよく頑張った!国民性の勝利だ」と言いたくなるのもわかる。しかし、その要因については、思い込みを排して科学的に解明していく必要がある。戦前の「日本人スゴイ論」が人々を危機的な状況に陥れたことを考えると、死亡者数の少なさを国民性や民度に結びつける論調に、危うさを感じてならない。
参考記事:
5日付 朝日朝刊(大阪13版)4面「麻生氏、死者少ないのは「民度が違う」」
日経新聞「遺伝子や疾患、コロナ死亡率に影響か アジアで低く」
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO59310840Z10C20A5EA1000?s=4
参考資料:
早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜』朝日文庫、2019年