日本に、不発弾なんてあるわけないよね?

「私には関係ない」、「私は大丈夫だ」と思っていたことが起きてしまったとき、そのための準備をしていなかった私たちは混乱するし動揺する。たとえば、地震。どこかで「私は大丈夫だろう」と思ってはいませんか。国内の問題も、他国との問題も、「私には関係ない」と、知ること考えることをあきらめてはいませんか。平和ボケと呼ばれる私たちは、無関心なことが多すぎると思うのです。

ふと平和ボケについて考えたのも、本日の新聞で不発弾に関する記事を目にしたからです。日本に不発弾があると耳にしたら、そんな事実信じますか?不発弾や地雷といったら、連想する国はカンボジアやアフガニスタン。数年前に日本にも不発弾があると知った時の驚きは、今も忘れられません。

日本には、未だ多くの不発弾が残っています。そして、年間50トンほどの不発弾が自得体の手によって処理されているといいます。3月16日、大阪市の浪速区の工事現場で不発弾が発見されました。地表でさく裂した場合、破片が1キロの範囲に飛散することからも、不発弾の危険性が読み取れると思います。そこで、大阪市は明日、南海電鉄を一時運休して、撤去作業を行うことを取り決めました。私は、この話を何人かの友人に持ちかけました。すると、知らなかった、ツイッターで読み流したという回答が返ってきました。

以前、韓国へ研修に行った際に、地雷を専門とする教授の講演を聞く機会がありました。

韓国も日本と同様に多くの不発弾が眠っています。被害者も日本より多く、また地雷被害者の多くが、自己責任と見なされ政府からの援助を受けられないという現状があります。更には、地雷の探索と除去には多額の資金を要するため、それらが適切に行われず、被害を受けてから他にも地雷があることを知ったというケースもよくあるそうです。日本では、家の前に地雷があるといったことは考えにくいですが、韓国の田舎では住民と地雷の危険が隣り合わせのようなところがいくつもあります。

しかし、そんな身近なことにもかかわらず、一緒に講演を受けていて、その事実を知らなかったと漏らす韓国人の友人が何人かいました。韓国には徴兵制度もあり、若者の政治への関心が高いのかと思っていたため、友人の一言はある意味衝撃的なものでした。

地雷に関する一件で、日本人と韓国人に共通して感じられたのは、「私には関係ない」ことには興味がないという意識の持ち方です。勉強や就職など自分の周りのことに気を取られすぎて、関係ないことを考える暇はないということでしょうか。平和なことは歓迎すべきですが、その平和がもたらした平和ボケは、思考停止を生み、大切なことを見落としてしまう一因になるような気がして不安です。「私には関係ない」という意識を持つ若者をどう減らせるのか。個人の問題と捉えず、社会の問題として考える必要性が、この不発弾の問題からも読み取れるのではないかと思います。

 

参考記事:5月8日付読売新聞夕刊(大阪14版) 31面「眠る不発弾 続く処理」