先月27日、山形市の百貨店「大沼」が自己破産した。創業は1700年で、松坂屋(1611年創業)、三越(同1673年)に次ぐ日本で3番目に歴史のある老舗百貨店だった。経営悪化から昨年より地元実業家の支援を受けながら経営再建を図っていたが、「昨年10月以降、状況が一変して売上高が大きく減り、資金繰りが持たなくなった」(長沢光洋代表取締役)という。
突然の閉店に地元の山形からは悲しみが広がっている。山形市在住の筆者の友人女性(24)は「とにかく衝撃だった」と驚きを隠せない様子。「大沼が厳しい状況下にあるとは分かっていたものの、地元民みんなで大沼を応援していこうという雰囲気に包まれ、正直なんとかなるのではないかと思っていたところの突然の閉店発表。長年親しんできた大沼に感謝を伝える時間もないまま、このような形で最後を迎えるのは本当に残念」。昔から市民の間で「ちょっといいもの」を買うには大沼だったという。
また、友人は山形市民の間でネガティブな声が増えていることも気にしていた。「『山形はもうだめだ』『商店街はやっていけるのか』等々。大沼がもっと市民の納得する形で営業を終えていたら、また違う雰囲気だったのではないか…という悔しさもある」。
山形は時に「仙台市山形区」と揶揄される。隣接する100万人都市仙台まではバスか電車で片道70分ほど。買い物をするならPARCOやLOFTも揃っている仙台へ行く。筆者は高校卒業まで仙台に住んでいた。街へ出ると山形発の高速バスから降りる大勢の買い物客をよく見かけた。実際、山形の大学に通う仙台の友人たちの声は大同小異で「仙台なら何でも買えるし、山形でショッピングをすることはない」という。単なる人口減だけでなく、都市圏が被っていた点も大沼の悲劇の一因だったのかもしれない。
とはいえ、地元百貨店が無くなった悲しみは大きかったようだ。山形県は全国で唯一のデパート空白県となった。同県は山形市や山形労働局などと協議会を作り、「大沼関連再就職等支援本部」を設置した。解雇された従業員向けに生活資金貸付制度を新設し、カウンセラーも配置して幅広い支援を手がける。行政が一つの地元企業破綻に対してここまで手厚く対応するのは異例と言える。
多くの人にとって、地元の百貨店は「思い出が詰まった宝箱」ではないだろうか。それが無くなる喪失感は計り知れない。筆者にも心当たりがある。2017年2月、さくら野百貨店仙台店が自己破産した。幼い頃から何度も買い物していた店である。高校時代は上階に入居していた古本屋に入り浸っていた。もっと通えば良かった、という後悔は今も消えていない。建物は今なお仙台駅前の一等地に空きビルとして残っている。帰省して目にするたびに胸が痛くなる。
が、未だに感傷に浸る筆者とは異なり、山形の友人は前を向く。「大沼が時代に合わせて品揃えや売り方を変えられなかったのは事実。今回のことを悲観しすぎずに、私自身は大沼のない新たなまちづくりに向けた前向きな気持ちを持ち続けたいと思っています」。
山形の情熱はまだ消えていなかった。
参考記事:
9日付日本経済新聞朝刊(東京12版)1面「春秋」
6日付同電子版「『大沼』破綻、山形県が再就職支援本部」
1月27日付同電子版「山形市の百貨店『大沼』、自己破産を申請」
参考資料:
大沼「破産手続開始決定のお知らせ」
1月28日付河北新報オンラインニュース「山形・百貨店大沼が自己破産 190人解雇、320年の歴史に幕」
J.フロントリテイリング「松坂屋の歴史」
三越伊勢丹ホールディングス「三越のあゆみ」