恐れていたことが起きてしまった

昨日の15時頃、図書館で勉強をしていた私のスマホの画面が光りました。ニュースアプリが伝える「『イスラム国』が日本人2人を人質に身代金要求」の速報。これを見た時の最初の感情は「遠い世界の話だな」でした。今まで「あの辺の情勢は分かりにくい」と敬遠していたため、実感としてニュースの重みが掴めなかったのです。皆さんは一報を聞いたとき、何を思いましたか。各紙の識者談話を紹介しながら、考えていきましょう。

テロに屈しないというのは、国際的な公約である。一方で、人命は尊く、政府には国民を守る義務がある。日本政府は難しい対応を迫られることとなった。(志方俊之・帝京大学法学部教授)

2億ドルという途方もない額の身代金を払うこととなれば、イスラム国に資金を供給したこととなります。国連安保理では2014年に加盟国に身代金を払わないよう求める決議を採択しました。日本国が「イスラム国」の要求を正面から受け入れて人質解放、という流れは厳しそうです。

日本人が事件に巻き込まれるのを防ぐ手だては限られる。日本政府は国民が危険な国や地域に渡航するのを強制的に止められない。渡航しないよう呼びかけるしかない。(河本志朗・公益財団法人公共政策研究会第2研究室長)

国際的な「テロとの戦い」に日本だけ協力しない、という訳にはいきません。今回は人道支援という形で2億ドルの拠出が表明されましたが、それが「イスラム国」を刺激したようです。身を守るためには、渡航自粛しかないのでしょうか。

日本は以前、「あの国はちょっと違う国だ」と国際社会のなかで認められているのを感じてきた。つまり、軍隊も出さない、武器も売らないという国ということ。(中略)しかし、自衛隊が2004年にイラクに派遣され、ジャーナリストの橋田信介さんが現地で襲われて射殺されて以降、私は日本は「普通の国家」になった、という印象を持っている。(軍事評論家・前田哲男氏)

このような「日本の体質が変わってしまったから、日本人が標的になった」という意見もよく見られます。日本は国際社会とどう足並みを揃えていくべきなのでしょうか。

最近、衝撃を受けた言葉を紹介します。パリでの新聞社襲撃の後に起きた人質事件で、犯人が地元メディアの電話取材に対し発した言葉です。「なぜ税金を払うんだ。お前の税金の30%は軍事費にまわっているんだぞ」。30%という数字はフランスにおける話です。しかし、日本に住んで、税金を払い、選挙権を持つ私たちにも同じことが言えるのだなと思いました。国際問題は遠い話ではなく私たち一人ひとりが当事者意識を持つべき問題であり、日本国の政治決定は私たちの選挙における一票によって決められているのです。

皆さんは人質事件どう思いましたか。ご意見を聞かせてください。

参考にした記事:各紙イスラム国関連ページ

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