校歌は世につれ

「校歌をどうして歌うのだろう?」。音楽が苦手な子ども達は思うかもしれません。古くさいし、歌詞を暗唱するのに気が重かった人もいるでしょう。でも私は校歌を味わい深いものと考えています。つくられたときの時代の雰囲気や景色が、大きく反映されるからです。

敗戦後に発足した小中学校は、思い思いの校歌をつくりました。教育の理念を盛り込み、郷土の景観を歌詞に込めました。例えば、京浜工業地帯の学校です。工場の煙に希望を託し、「再建日本の戦士とならん」としています。このように経済発展を歌うなど、時代や社会の価値観をストレートに反映した校歌は少なくありません。

また、その地域が誇る自然をつづったものも数多くあります。私は小学校と中学校でそれぞれ1度ずつ転校をしました。その分、他の人よりも多くの校歌を歌ってきました。長野県の豊かな自然に囲まれた学び舎を誇るもの、出版社や大学も多く古書街として有名な東京・神保町を「学びの街」と表現したもの。どの曲もその土地にかかわる光景や情景を想像できます。

いつまでも歌い継ぎたいものですが、少子化で統廃合が進むのに伴い、校歌もなくなっていきます。時代の移りかわりで消えていく場合、歌詞を何らかの形で残していくか、それとも変えていくかは、これから多くの学校が直面する問題になるでしょう。

今朝の読売新聞の記事では、統廃合によって新たな校歌が作られていることについて書かれていました。なくなる一方で新しい校歌も生まれるのです。その土地にゆかりのある著名な人に託したり、児童や生徒が作成に参加したりしているそうです。

たしかに身近でも見受けられます。平成5年に3つの小学校と統合した近所の小学校では、地元で育った小椋佳さんが作詞、作曲をしていました。元気のでるメロディーに合わせて、のびやかに歌う子どもたちの声が聞こえます。より愛着のある校歌として伝えていけるのならば、素敵な試みだと思います。土地の人たちのつながりによって保っているのが現代の姿なのかもしれません。

卒業された学校の校歌は覚えていますか?忘れてしまった方もホームページをみれば、歌詞が載っている場合も多いので、あらためて検索してはどうでしょうか。

参考記事
13日付 読売新聞(東京14版)21面(くらし教育面)「最前線 統廃合 新校歌でつながる」 

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