支援だなんて言われても

早く夏休みにならないかな、東京にいる彼氏に会いたい。

そんな友人ののろけ話を、うっとうしさ半分、微笑ましさ半分で聞いていました。大学生の夏休みとして申し分ない過ごし方です。羨ましい限りですね。友人もその彼も男性ですが。

さて、先日雑誌「新潮」に寄稿された自民党・杉田水脈議員の「LGBTカップルには、子供を作らない、つまり「生産性」がないため、税金を使って支援するのは如何なものか」という意見がずいぶん話題になっていますね。ワイドショーやインターネットで毎日のようにこれを批判する意見を見かけます。本日の朝日新聞でも同様に、評論家やジャーナリストがこれに対して避難する意見を取材したものが掲載されていました。

評論家の荻上チキ氏は、「憲法が与える権利の制限に「生産性」などはない。今回はLGBTが対象になったが、これが障害者や高齢者、低所得者になる可能性もある」と批判。また、ジャーナリストの安田浩一氏は「「生産性」という尺度は人間に用いる尺度ではない、人間への完全なる否定だ」として不快感をあらわにしています。

「生産性」という言葉の無神経さや、それ以前に思考それ自体の奇妙なズレ感はもはや言うまでもなく世間が感じていることですから、今さらこの場でなんとも言いません。ただ杉田議員の意見に賛同する議員はいることでしょう。それが国としての過半数だった場合、それこそホロコーストのようになってしまうではないか、友人の彼と彼の彼氏が悲しむようなことがあるのではないかと思うと黙ってはいられません。

と、言う気持ちももちろんありますが。

そんな事より思うのは、なんでわざわざ性的マイノリティの人々が生きていくのに支援なんかされなきゃいけないのか、というところ。別に身体に障害があるわけでも、自力でお金が稼げないわけでもない、自分の力で自分の好きなように生きていける人たちです。唯一彼ら彼女らの人生を不自由にしているものがあるとすればそれは「大勢の否定的な、関係のない他人の邪魔」でしょう。この邪魔さえ入らなければ支援なんてそもそも必要ないのです。その「否定的な他人」が自分達の住む場所を管理する側の人間であるというのはゾッとしない話ですね。

夏休み明けに、友人から聞く彼氏とののろけ話が楽しみです。

参考記事:
2日付 朝日新聞朝刊(大阪10版) 23面(生活) 「「生産性ない」主張 背景には」