原発への国民理解 一筋縄ではいかない

先月末、福島県二本松市に住む祖父母の元を訪ねた時のこと。「家の裏の山、去年の秋ごろにきれいにしてもらったんだ」と祖母が言いました。除染のことです。原発事故の発生から約1年後に遊びに行ったとき、何も考えずに姉とこの山に入りました。戻ったら「葉っぱとか土に(放射性物質が)ついてるかもしれないのに」と母に怒られたのを覚えています。目には見えないものなので、危険だと思わなかったのです。

除染作業では、放射性物質が積もった地表から数センチの部分を削り取ったり、高圧洗浄水で洗い流したりします。この土や水は「汚染土」や「汚染水」として回収され、仮置き場などに保管されています。そのあと中間貯蔵施設へ移され、最終処分へと続きます。

祖母の話では、二本松周辺地域で出た農林業系や可燃性の除染廃棄物を減容化する仮設焼却場が、家からそう遠くない場所で建設中だということでした。ここで減らした分、中間貯蔵施設に保管されるものも少なくなるというしくみです。

東電ホールディングスは福島第二原発の廃炉の方針を表明しました。きょう午前中に再稼働した九州電力の玄海原発4号機を含め、現在国内で稼働している原発は6基。電源構成に占める割合は非常に小さくなっています。国のエネルギー基本計画見直し案では原子力を引き続き基幹電源としていくことになっていますが、新増設や建て替えの方針は明記していません。ただ、「経産省は、今回の基本計画の改定にあたって、大手電力に対して、水面下で新増設や建て替えの検討を進めるように働きかけを始めている」と読売新聞が報じています。

読売新聞はエネルギーの安定供給ができなければ国民の負担が増えることになる、という考え方から、以前より新増設や建て替えの必要性を訴えています。今日の記事にも、原発活用の意義について「エネルギー安全保障の観点から(輸入燃料に頼る)火力発電の代替手段を持たないことは問題が多い。意思も覚悟もなく、脱原発に身を任せれば、いたずらに国民の負担やリスクを増大させる」という国際環境経済研究所の竹内純子主席研究員の言葉を載せています。

たしかに脱原発は容易な道ではありません。電力の安定供給の重要性は、計画停電の時に思い知りました。ですが、たとえ安全審査をクリアした原発だとしても、あの日以来暮らしを大きく変えられてしまった人々には簡単に受け入れられるものではないでしょう。事故の影響を目の当たりにした私たちは、これまで目を向けてこなかったリスクを知りました。福島県内でも意見は決して一様ではないと思います。ただ、県が2040年までにエネルギー需要の100%を再生可能エネルギー(再エネ)でまかなう目標を掲げていることからは明確な「NO原発」の決意が伝わってきます。

再エネの利用拡大の課題のひとつは、電気を各地へ送るためのシステム全体、いわゆる「系統」に関するものです。送電線や電柱はこの構成要素にあたります。よく「送電線の空きがない」という話を聞きますが、これは系統への接続契約が先着順であることや、送電線の半分が緊急時のために空けられていることなどが背景にあります。

再エネに期待しつつ、もし原子力が再び信頼されるものになるとすれば、それはどんなものなのか考えています。安全に管理できることが前提条件でしょう。しかし、福島第一が、安倍首相が五輪招致の演説の際に言い切った「アンダー・コントロール」なのか、いまだによくわからないのが正直なところです。

参考記事:
16日付 朝日新聞朝刊(東京13版)3面(総合3)「(てんでんこ)自然エネ100%⑦変遷」
同日付 読売新聞朝刊(東京13版)3面(総合)「(社説)福島第二廃炉 復興を進める契機としたい」、13面(解説)「エネルギー基本計画 『原発新増設』書き込めず」
同日付 日本経済新聞朝刊(東京13版)13面(企業)「中部電・東電に出資打診 日立の英原発、調整難航も」

参考サイト:
送電線「空き容量ゼロ」は本当に「ゼロ」なのか?~再エネ大量導入に向けた取り組み(経済産業省資源エネルギー庁)
http://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/akiyouryou.html