友達、100人でいいかな?

『友だち幻想』

最近ずいぶん話題を呼んでいて、私も興味があるもののまだ手を出せていない書籍のひとつです。ちょうどタイムリーに、本日の朝日新聞朝刊に取り上げられていた記事もまた、興味深いものでした。

掲載記事は読書面の中のひとつ。記事というよりコラムと言ったほうが正しいでしょうか。担当したのは武田砂鉄氏。電子メディア『cakes』の芸能人コラムを中心に活躍するライターです。私自身まだ『友だち幻想』を読めているわけではないので書籍に関するコメントはできないのですけれど、コラムの中に垣間見える武田氏の的を射た意見には「おっしゃる通り」と言わざるを得ません。

著者の菅野仁氏は「人はどんなに親しくなっても他者なんだということを意識したうえでの信頼感を作っていくべきだ」と述べているそうです。学校で教えられるような「みんな仲良く」という同質性を求めるのではなく、並存性を重視せよ。態度保留で構わない、と。

実はこの本、出版されたのは2008年、もう10年も前の書籍なのです。それがなぜ今話題を呼んでいるかといえば、武田氏は「人間関係という幻想にわざわざ輪郭を与え、わざわざ傷ついている。10年前の本が、今改めて読まれているのは、「幻想」の強要がいよいよ難しくなってきたのでは」と述べています。

この「わざわざ」という毒気の強い言葉こそ、真理をついているなと思う方は多いのではないでしょうか。友達が多ければ多いほどいい。それを一辺倒に信じるのはよくないということがわかっている人が、実はほとんどなのではないかと思います。わかっていたけど、言えなかった。だって社会がそれを正しいというのだから。それを言っていい社会に少しずつなってきて、言ってくれている、それでも正しいと示してくれる書籍が今また話題を呼んでいる。みんなが気付き始めている。この記事を読んで『友だち幻想』という書籍の意味が少しわかった気がしました。

書籍の中でいう、他者ということを理解したうえでの人間関係を築くことって、たぶん同質性を求めるのと同じくらい難しいことなのだと思います。結局人間関係を築くって、どんなやり方をとっても難しいのではないでしょうか。自分とは違う、何を考えているか100パーセントの理解なんて絶対できない人たちと関係を築くことって、すごく気力を使うことですよね。それを100人も200人も。できる人もたまにいます。けれどそういう人が百点満点唯一の回答というわけではなくて、その域まで行くともはやそれはその人の才能として扱われるものなんだと私は考えています。

まず、人によって友達ってどんな関係の相手なのかも違いますよね。予定を合わせて合う訳ではないけれど会えば挨拶するくらいならもう友達なのか、一緒にご飯を食べるくらい仲が良くなければ友達ではないのか・・・・・・。この基準が高くなればなるほど友達の数は減っていくでしょう。相手に友達と思われているかもしれないのに、自分が友達に数えていないことだってあります。数が多いことばかりに目が行って、一人一人の価値が失われていく。自分の価値観が否定される。友達なんてお互いが一緒にいて気持ちのいい相手のはずなのに、無理やりに作ったりなかったことにしたりして、わざわざ傷つくのでは本末転倒ですね。でも、それでも友達になりたいと思った相手がいるのなら、それはそれで傷つくこともあるでしょう。どっちにしたってどこかで傷つくのです。

さて、あなたの友達は何人くらいいるのでしょう。まず、明確に数にする必要なんてあるのでしょうか。友達かどうか微妙な人、わざわざ友達としておきますか?

友達だと思いたい相手、ぜひ、大切にしてあげてください。

参考記事
19日付 朝日新聞朝刊(大阪10版) 15面(読書) 「「みんな仲良く」のしんどさ」