若者が変える、銃社会

昨日、卒業式を迎え、4年間の学生生活が終わりました。大学は社会に出る前の猶予期間と言われたりもします。その時間が終わってしまったかと、残念でもあり、嬉しくもあり。筆者は3月中旬、アメリカ・ニューヨークへ卒業旅行に行ってきました。

人生初のアメリカは、不安の連続です。

乗り継ぎが大幅に遅れ、ニューヨークのラガーディア空港に到着したのは夜の11時。外に出れば、街灯は少なく、土地勘のない筆者からすると、「ここはどこ?」の状態。バスに乗り、ジャクソンハイツへ行き、地下鉄に乗り換えるとホームは薄明り。車内は時間も遅いこともあり、乗客がまばら。乗っている人は、大柄な人ばかりです。無事にホテルに着くか、勝手に不安になってしまいました。

ニューヨークの地下鉄

翌日、街に繰り出すと、昨夜とは打って変わって、華やかなムードです。マンハッタンや自由の女神、タイムズスクエアと見るものすべてが、映画の舞台のようです。

リバティ島から見たマンハッタン

同時に厳しい現実を突きつけられます。ライフルをもった警察官を頻繁に見かけるのです。銃口は下を向いているので、容易に撃つことはできないでしょう。それでも、その光景に少しビクビクしてしまいました。現地の人からすれば、当たり前のなのかもしれませんが。

街にいる銃を構える警察官

しかし、この銃との距離感に若者が異を唱えています。

今日の朝刊には、24日にワシントンで銃規制を求める行進が行われ、約80万人が参加した、とあります。また、全米の各都市や欧州、アジアなど世界800カ所以上で集会が開かれました。こうした銃規制の訴えの背景には、17人が殺害された2月のフロリダ州の高校での銃乱射事件があります。

筆者も銃の規制に賛成です。しかし、これまでのアメリカの文化からすると、それは難しいものかもしれません。憲法には、武器保有を保障すると受け取られる条文があります。また、規制に反対する全米ライフル協会は集票力と巨額の政治献金で政界に隠然たる影響力を持ち、国や州もそう無下にはできないのでしょう。

しかし、銃規制を求める若者こそ大切にすべき存在です。繰り返される発砲射事件がなくなり、彼らの学校生活も穏やかになってほしいと願います。

昨日の卒業式は、満開、とはいきませんでしたが、桜に包まれながら仲間に会い、本当に暖かい日になりました。別れの季節であることを実感しました。私、西岡矩毅の投稿も今日で最後になります。これからは新米の新聞記者として取材をし、記事を書いていきます。これまで、ありがとうございました。

参考記事

26日付 朝日新聞 13版2面「80万人銃規制訴え」

同日付 読売新聞 13版1面「銃の悲劇『ノー』」

他、関連面