「性」に自信を持つには

 毎週日曜日の朝日新聞で連載されている「フォーラム 中学校の制服」。そこで集計されたアンケートには、つぎのような言葉がありました。

自らの性別に違和感をおぼえるものにとって、制服を着ることは生まれた時の性別を毎日再確認させられる非常に不愉快で容認し難い通過儀礼である

 
 愛媛県の西条市立丹原東中の生徒総会では、こうした苦痛を取り除くため、制服のあり方について話し合われました。

 スカートかズボンか選べる選択制にすべきか。あるいは、男女で分けずに、統一された制服を設定すべきか。選択制にして、性的少数者の生徒が好きな制服を着られるようになったとして、校内では受け入れられても、性的マイノリティについて知らない人は偏見を持つかもしれない…。
 
 最近、芸能人の活躍もあって性的マイノリティの認知度が高くなってはいますが、それでも、みんなどこか別の世界のひと、といった受け止め方なのは否定できません。いざ実際に目にしたら、からかったり、陰口をたたいたりしてしまうのかもしれません。現実に、性同一性障害の友人に、他人が心ない言葉をかけるのを見て、やるせなく感じたことは何度もあります。
 
 実際に皆さんの周りに、性的マイノリティの人はいますか。見たことがない、という方もいることでしょう。心と体の性が一致しない「性同一性障害」の人は約2800人に1人(NPO法人 性同一性障害支援機構HPより)、身体の性分化が正常に行われない「性分化疾患」の人は約2000人に1人と言われています。筆者が受けた印象は「思ったよりも多いな」というものでした。比較的規模が大きな総合大学なら、一学年に2、3人は性的少数者がいることになります。
 
 身近にいてもおかしくない性的マイノリティ。それなのに、そのことをカミングアウトできている人は少ないのです。それもおそらく、社会の偏見を恐れてのことでしょう。まだ堂々と自分の「性」を主張できるような社会にはなっていないのです。
 
 「リリーのすべて」という映画があります。主人公は性同一性障害の男性。同じ画家の女性と結婚後、自分の性の不一致に気づきました。「本当の私ではない」と訴え、女性の格好をするようになります。そして、妻に支えられながら世界初の性別適合手術を受けました。自分の性に自信を持つことができたのは、「夫」を失うことになったとしても愛する人の望みを理解し、生涯支え続けた妻がいたからでしょう。

 性的マイノリティの人びとが自らの性に自信を持つには、周囲の理解と支えが必要です。カミングアウトしていようといなかろうと、おもしろがったり奇異な目で見たりせずに、彼ら、彼女らの声に耳を傾けたいです。

 

参考:16日付 朝日新聞朝刊 9面オピニオン欄 「フォーラム 中学校の制服」