マスクをはずすのが怖かった。コロナ禍のことではなく、2018年の私の話です。当時、人の視線をさえぎるために「マスクを着ける」という手段を取っていました。
受験生だった私にとって、マスクはお守りでした。着けていなければ、人と目を合わせることも難しかったのです。理由の一つは、成績不振や交友関係の難しさから自分への自信がなくなっていたこと。思春期でお肌の調子が良くなかったので、そもそも顔を見られたくなかったというのもあります。
家族と過ごす時や、1人でいる時は、顔を隠さなくても平気でした。一方で、たとえちょっとした散歩だったとしても、外出の際は必ずマスクを着けていました。今考えれば不思議なくらい、他人の「視線」にとても敏感になっていたのです。逆に顔を隠してさえいれば、気丈に振る舞うことだってできました。
他人の視線がもたらす効果については、大学の講義で知った研究結果がとても印象に残っています。たとえば、科学者のメリット・ベイトソンらが行った実験。それによれば、シンプルな「目だけが映った写真」でも、人々の行動に影響を与えるのだそうです。
他にも、たとえば寄付をする時、他人からの感謝や賞賛の視線を報酬の一つとして受け取っている、なんて研究成果もあるのだとか。目が持つ力は、おそらく想像している以上に、ずっと大きな力があるように思います。
今だからこそ言えることがあります。コロナのために日本国民がみんなマスクを着け出した時、私は圧迫感を感じるどころか、とてもホッとしたんです。あー良かった、これで私は仲間外れじゃなくなるぞ、と。
大学生になってからは、マスク以外の武装手段「メイク」も手に入れました。アイシャドーを付けるだけで可愛くなれるから、今日もおしゃれは楽しい。素顔を隠すことばかり考えていましたが、いかに素材を生かして自分を美しく見せるかという、ポジティブ・シンキングも獲得しました。
「ありのままで」って、すごく難しいのです。就活の攻略本にもたくさん載っています。ありのままでいて、あなたらしさを見せて。どうやって見せたらいいのかも、この自分で許されるのかも分かりません。
でも今は「マスクなし」を気兼ねなく選べる日常が戻ってくることを祈ります。勇気は少し必要だけれど、隠していることは苦しかった。わたしはみんなの笑顔が見たいのです。
参考記事:
16日付 朝日新聞朝刊(13版)15面「マスクと人間らしさ 自由再発見へのリハビリ」