笑いと政治 相容れない?

日増しに攻撃が激しくなるロシアのウクライナ侵攻。ロシアのプーチン大統領は大量に保有している核兵器にまで言及し始め、国際社会では核への恐怖が広がっています。テレビをつければ、ウクライナの惨状が流れてきます。

一市民にさえも、世界情勢の緊迫感はひしひしと伝わってきます。けれど、私たち自身の日常生活との温度差を感じてしまうことがあります。その違いは、私たちの生活が変わっていないということでもあり、平和の貴重さを実感するものなのですが。

最近、母が夜の7時そして9時になると、「NHKに回そう」と言うようになりました。NHKニュース7とニュースウォッチ9の時間です。ゴールデンタイムの民放はこぞってバラエティ番組になり、クイズにグルメにお笑い。ガラッと空気が変わります。

日本のエンタメは政治や時事と切り離されていると感じます。タブー視されているわけでもない。それでも、お笑い芸人がどこからどう見ても「あの政治家」という恰好でコントを始めたら、予想外の展開に見ている側はびっくりすることでしょう。社会派の劇団公演に行くと、かなりダイレクトに政治的テーマを扱っていたりしますが、その演目を見たい人しか足を運びません。それに対してテレビ番組は不特定多数の大衆に向けられます。政治色がつくのを嫌うのでしょう。

対照的に特にイギリスなどの欧米では、ブラックユーモアの文化があります。例えば、ブリティッシュジョークの特徴の一つが権威への批判ですし、アメリカの長寿番組Saturday Night Liveでは有名俳優がトランプ前大統領に扮し、コントを披露しています。

もちろん、日本でも時事ネタやブラックジョークが面白いと受け止められないわけではありません。爆笑問題の漫才はその時の時事を素早く取り入れていますし、THE MANZAI2013年王者のウーマンラッシュアワーはテレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演し、激論を交わしていました。「笑ウせえるすまん」は、理不尽な話が多いですが、それでも人気があるマンガの1つです。

しかし、2018年の笑点で当時の安倍政権に対して風刺的な回答が出たところ、ネットでの賛否は大きく分かれました。笑いに政治を持ち込むと、政治的偏向になるのでしょうか。「テレビは限りある公共の電波で成り立っているから、中立的でなければならない」と大学の授業で聞きました。SNSではさまざまな意見が飛び交うのに対し、テレビに似たようなコンテンツが多いのはそういった理由かもしれません。だからといって、笑点の例のように、批判的なギャグを言うこと自体が、中立的でないという見方は違っていると思います。厳正であることは、争点に触れないということではありません。メディアにおける不偏とは、批判しないことではなく、批判に批判を重ねられる状態なのではないでしょうか。

形は違えど、より良くしたいと望むジャーナリズムであることは確かです。

 

参考資料:

2018年6月8日 日刊スポーツ「政治風刺の『笑点』ネットでやり玉、言論の自由とは

 

参考記事:

7日付朝日新聞デジタル「ロシアの戦争 報道弾圧を中止せよ