生体肺移植への期待と懸念

京都大学病院は8日、新型コロナウイルスで重い肺障害を起こした女性に、夫と息子から提供された肺の一部を移植したと発表しました。コロナウイルスの後遺症で危機に陥った患者に、生体肺移植、つまり生きている人から提供された臓器を移植したのは世界初だそうです。

11時間にも及ぶ手術は無事成功し、患者も二人のドナーも順調に回復しているようです。女性は肺移植以外に治療の見込みがなく、家族から提供の意思が示されたことから移植が実現しました。

通常、肺移植を希望する患者が脳死ドナーから提供を受けるまで、800日ほどは待機しなければなりません。今回のケースでは、とても間に合いません。対象となる患者は「肺以外に臓器障害のない65歳未満」と限られますが、命を救う有効な手段として期待が寄せられています。

しかしその一方で、提供する側のリスクが浮かび上がっています。健康な体にメスを入れることになるからです。女性が危機的状況にあったとはいえ、そこまでの必要は本当にあったのでしょうか。筆者はこの記事を読み、大学1年生のときに受けた医療倫理学の講義を思い出しました。

講義の軸にはバイオエシックという学問分野がありました。脳死や体外受精、臓器移植など、日々進歩し続ける医療技術。生命観も大きく変わり、生命の意味が問い直されています。それらを考察する領域です。

医学部の消化器・総合外科で教える吉住朋晴先生から脳死と臓器移植について講義があり、生体移植の実際に起こった事例を学びました。

京都大学病院で2008年に行われた生体肝移植の際のことです。娘に肝臓の一部を提供した女性が、肝不全、肺炎、感染症を併発して重体となったそうです。当初の予定を下回る大きさの肝臓しか残せなかったことが原因とされており、健康体であったドナーがリスクに直面した事例とされます。

健康に生きている人が死の危険を冒してでも臓器の一部を提供するべきなのか。当事者でなければ、決断時の心情はわかるわけもありませんが、将来後悔することのない決断をしてほしいものです。

ドナーの自発的な意思表示が大前提で、リスクを十分に説明して進めることが欠かせない

と、東北大学病院の岡田克典教授は話しています。

さて、京大病院の移植では、手術前に肺機能が落ちることにより健康にリスクが生じることの説明があったそうです。そのうえで自発的な意思表示を踏まえての手術であり、正しい段階を踏んでの移植だったのだと得心しました。

しかし、リスクは思わぬところに潜んでいます。提供を「する」「しない」、提供を「受ける」「受けない」。4つの権利は誰にでもあり、強要されるものではありません。今後の生体移植の拡大に期待するとともに、臓器移植についてもっと知る機会を設けることが肝要でしょう。

 

参考記事:

9日付 朝日新聞朝刊(福岡14版)27面(社会)「コロナ肺炎と生体肺移植 京大病院重症患者 夫・息子が提供」

9日付 朝日新聞朝刊(福岡13版)29面(社会)「コロナ後遺症 生体肺移植 京大病院 世界初 夫と息子が提供」

参考資料:

丸山マサ美(2017)『医療倫理学』中央法規出版