ゴキブリ、シロアリ、イナゴ、松食い虫など、人々を悩ます害虫はたくさんいますが、かつて日本には「害虫」という言葉さえなかったといいます。それどころか、嫌われ者のゴキブリも豊かさの象徴だったといいます。『害虫の誕生』の著者・大阪市立大学准教授の瀬戸口明久さんに、執筆のきっかけや「害虫」を通して見えてくることについて、伺いました。
――この本は害虫駆除の技術書でも、歴史書でも、害虫研究史でもなく、人間が害虫とどう向き合ってきたのか、害虫が人間とどう関わってきたのについて書かれたものですね。何が害虫で、害虫でないのか、害虫の「境界線」は時代によって常に揺れているということがよく分かりました。そもそも、どういうきっかけで「害虫」をテーマにしようと思われたんですか。
◆最初は害虫駆除史のつもりだった
もともと専門が科学史なので、最初はこのような視点で書く予定ではなく、害虫駆除のやり方が時代や政治などによってどういうふうに変わってきたのか、害虫駆除史のようなものを考えていたんです。ところが、資料や文献などを調べていくうちに、害虫駆除の専門家の意見ばかりで、実際にコメなどをつくっている農民がどう害虫と接してきたのか、つまり、農民の害虫に対する見方というのが抜けていることに気がついたんです。
それから、視点が変わりましたね。もっと、パブリックな人たちの害虫対策のやり方を取り入れたら面白いものができるんじゃないかと思ったんです。ですから、最初にイメージしたものと、実際に出来上がったものとは内容が全然違うものになってしまいました。害虫を環境史の視点から調べている研究者がいないので、本にまとめる上で苦労しました。学術論文になってはいけないので、読みやすくするにはどうしたらいいのかと考え、新しいエピソードを入れたり、自分なりに工夫したつもりです。
――日本での害虫駆除の歴史はそんなに古いものではないんですね。
◆虫による被害は「天災」と考えられていた
日本初の国語辞典「言海」の初版(1889~1891)には「害虫」という項目がありません。「害虫」というカテゴリーが確立したのは明治後期です。それまでは害虫を駆除するという発想がなかったんです。それどころか、害虫という言葉そのものが存在していませんでした。たんに「虫」です。虫は自然発生するものだと考えられ、虫による被害は「天災」と位置づけられ、それを防ぐ方法は田んぼにお札を立てるという神頼みでした。害虫を人間の手で排除するようになったのは明治以降です。
しかし、農民の考えと、政府の駆除対策は必ずしも一致しません。明治初期に初めて虫の害が報告されたのは北海道・十勝地方でした。「トノサマバッタ」が大量に発生して、植物が食い荒らされたのです。その後、全国各地で「ニカメイガ」という害虫が発生しました。「ニカメイガ」は稲作に被害を与える害虫の一種で、幼虫のときは稲の茎の中で過ごし、羽化して成虫になると外に出てきます。政府は調査に乗り出し、「ニカメイガ」の幼虫が潜んでいる藁や切り株を焼いて消却する方法を奨励したのですが、農民はその対策に疑念をもっていたんです。九州でも「ニカメイガ」の近縁にあたる「サンガメイガ」という害虫が発生していますが、ここでも、農民たちは政府の駆除のやり方に反発しています。「天災だから仕方がない」と虫の自然発生説を信じて何もしなかったのです。