書評

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著者に聞く

<『エッジ』 鈴木光司さん>

 『リング』『らせん』『ループ』など、次々とヒット作を生み出している鈴木光司さんに、最新作『エッジ』について伺いました。

――『エッジ』は、これまでの作品『リング』『らせん』『ループ』とはかなり趣きが異なっています。主人公の栗山冴子は35歳。職業はルポライター。元科学雑誌の編集者で、一度離婚を経験しています。そんな彼女が長野・高遠で発生した一家4人の失踪事件を月刊誌に発表したことから物語が始まります。父親・眞一郎も18年前に失踪、現在も行方が分かりません。新潟・糸魚川でも3人が忽然と消えました。米・カルフォルニア州でも同じような現象が起きています。冴子は取材を進めていくうちに、幼い頃に父親から学んだ数学と物理の思考を膨らませて、次々に起こる失踪事件を探っていきます。鈴木さんの作品は度肝を抜かれるものが多いですが、『エッジ』も読みながら着地点をどこにするのかとハラハラしながらページをめくりました。バックボーンにあったのは何ですか?

◆冴子は原理を問う学問を教えられた

 テーマは教育です。だから、父親の眞一郎は娘の冴子に物理、数学、哲学とものごとの原理を問う学問を教えたんです。自然の流れでは親のほうが子供よりも先に逝く。いつまでも子供に教え続けることはできません。いずれ子供は自分で考える力をつけて自立しなければならない。その構造を小説のなかに持ち込もうとすれば、眞一郎はどこかの時点で消えてくれないと困る。自分の子育て体験が色濃く影響している作品ではないかと思う。

――数学、物理、哲学を取り入れたのは?

◆日本の教育はモノの原理を教えない

 明治になるまで、日本には物理、数学、哲学がなかったんです。数学は和算があったかも知れないが、物理を内包するような形での哲学が存在しなかった。となると、モノの原理がどのようなルールで出来ているのか、世界というものがどのように出来ているのか、それを知ろうとする学問がなにもなかったということになる。
 ところが、西洋ではギリシャからの伝統でずっと哲学があるわけですよ。産業革命が起きて西洋文明がぱーっと開いたとき、日本はそれをキャッチアップし、明治になって西洋の文明を恐ろしい勢いで学び始めましたね。問題はその学び方、教育です。モノの原理を考えるということをしません。原理を解いていくと時間が掛ってしまうので、とにかく、学ぶより、覚えよ、覚えよ……と。この方針は今でも日本の教育の中にあると思う。モノの原理を教え、あとは自分の力で考えるという教育をやってきていない。相変わらず、覚えるというだけの知識偏重です。日本人でしか出せない答えを出すためには、やっぱりモノの原理を知らないといけない。『エッジ』ではそれを言いたかった。

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