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2010年08月27日

加来 耕三 歴史家・作家 経歴はこちら>>

柔道の父・嘉納治五郎の「力必達」(1/5)

 ときは明治の中葉、鹿鳴館(ろくめいかん)時代――世上は、“文明開化”に酔いしれていた。

 欧米先進国の文化は無条件で受け入れられ、逆にこれまでの日本的な伝統文化は、内容の善悪(よしあし)を問わず、顧みられない傾向が顕著となっていた。

 とくに剣術、柔術などの日本古来の武術は、泥臭くて野蛮なもの、と一蹴されるありさまで、著名な武術家たちも、生活の困窮からつぎつぎと道場を閉鎖していく。

 このような状況のなかで、ひとりの青年が不意に柔術を習いはじめた。この小柄な青年は、力づくで挑んでくる乱暴者を制止できず、己れの非力さを悟り、“術”をもって対処すべく柔術修行を思いたった。

○諸流儀の長所統合

 だが、師を捜すのに数年を費やし、ようやく師にめぐり会ったものの、青年は稽古をしていくうちに、とんでもないことに気がついた。

 柔術にはいくつもの流派があり、各々の流儀によって立ち技を重視するもの、寝技のみ教えるもの、関節を決めるだけの稽古を積むもの等々、武技に各々の特色があることが知れた。

 「いま、古流柔術は衰亡の危機に瀕(ひん)している。これを救うには、諸流儀の長所を統合し、完成度の高い武術を創始して、文明開化の軽薄な風潮に対抗するしかない」
 青年は思った。

 もし、彼が一介の名もない武術家志望者であれば、周囲に波紋をよぶこともなかったかもしれない。この青年の名を、嘉納治五郎(かのうじごろう)といった。

  →次ページに続く(嘉納の生涯は…)

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