2010年03月02日
| 加来 耕三 | 歴史家・作家 | 経歴はこちら>> |
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連日、熱戦がくりひろげられたカナダのバンクーバー冬季五輪が閉会した。日本人はこぞって、日本人選手の健闘を手に汗して称えた。
だが、この「平和の祭典」の舞台で、同じ日本人がかつて、生命(いのち)を懸けたもう一つの“物語”があったことを知る人は少ないようだ。
バンクーバーの代表的な公園スタンレーパークに、一種奇妙な記念碑が建っている。「日本人義勇軍戦没者慰霊碑」とでも訳せばいいのだろうか。碑文は、英語でつづられていた。
この碑については、多少の噺(はなし)がある。ここにいう戦没者は、約70年前の第2次世界大戦の戦死者ではない。その前の第1次世界大戦のおり、日本の大正4年(1915)にあたる年の11月、「加奈陀(カナダ)日本人同胞の権利獲得と名誉のために」をスローガンに、募集された義勇兵に応募し、カナダ軍に身を投じて、連合軍側の一員として戦った日本人戦死者のためのものであった。
〇カナダ人を助けるべく戦場に向かった日本人
現在のカナダは、200以上の民族が暮らす移民の国として、民族や人種の多様性を尊重する「多文化主義政策」を採(と)っていると聞くが、「晩香坡」とバンクーバーを書いた当時=大正初期のカナダ=は、アメリカと同様、「排日」の凄まじい嵐が吹きすさび、人種差別も重なって、日本人移住者はカナダに帰化できても「公民権」を与えられず、当然のことながら参政権も認められない状況下にあった。
にもかかわらず、カナダの日本人(大半はバンクーバー周辺にあった)は、自発的に自分たちを迫害するカナダ人を助けるべく、戦場に向かったのである。
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