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2009年07月25日

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<シベリア抑留死亡者・名簿に刻す>村山常雄さんに聞く(9/10)



Q 8月23日に、東京の千鳥ケ淵でシベリア抑留犠牲者追悼の集いがありますね。

 一昨年は出席したんですが、昨年は名簿作りでとても外出できるような状況ではありませんでしたから、今年はぜひともと思っています。

 ――どうもありがとうございました。【2009年7月19日、東京都内で収録】

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【寄稿】 「シベリア抑留経験者の現状」
        全国抑留者補償協議会事務局長代行  有光 健


 戦後64年目の8月を迎える。戦後シベリアやモンゴルに抑留された元抑留者らは約60万人といわれるが、生存者はすでに10万人を切り、平均年齢は86歳を越えたとみられる。
 全国抑留者補償協議会は今年5月に創立30年を迎えた。国の補償、恩給加算、遺骨送還を求めて運動を続け、1981年から97年まで16年間も国を相手取って抑留期間中の未払い賃金の国家補償を求める裁判を行ってきた。日本の戦後補償裁判の中では最長の期間をかけた裁判だったが、結果は敗訴。その後も、現在まで計5件のシベリア抑留裁判が行われてきたが、現在京都地裁で進行中のもの(10月に判決予定)以外はすべて請求棄却で終わっている。
 労働証明書がないから国は支払いができないと言うので、独自に労働証明書を取り寄せ、提出したが、それらも無視されたままだ。国も裁判所も個人に請求権はなく、戦争に起因する多種多様な被害は「国民等しく受忍すべきだ」というのである。
 そこで、もはや政治解決しかないと、21世紀になってから、各政党・国会議員に要請を続けてきた。2004年から特別給付金支給法案を民主党はじめ野党側が提出。2006年に一旦否決・廃案にされたが、今年3月に新たに「戦後強制抑留者特別措置法案」が参議院に提出された。この法案も政権交代すれば可決・制定できる可能性が浮上してきている。
 大事な節目なので、元抑留者に、いま何を考え、何を訴えたいのか、をアンケートで尋ねたところ、約250人から回答があった。回答者の平均年齢は85.4歳。1946年12月、第1回の引揚船で帰ってきた人もいれば、1956年12月、日ソ共同宣言でようやく最長の11年にわたる抑留生活を終えて帰国できた94歳の元戦犯もいる。異口同音に厳しい寒さと食料不足の中での強制労働のつらさを述べている。
 亡くなった戦友たちを手厚く葬れず、動物か物を処理するようにぞんざいに扱ったソ連を恨み、何もできなかった自分を今も責めている。そして、旧ソ連・ロシアに対するぬぐいがたい不信と怒り、何も対応してくれない祖国日本政府への深い失望と憤りが書き連ねてある。半数近くが、子供や家族にも当時の体験を話していない。具体的にたいまつを引き継ぐ時なのに、このままでいいのだろうか、と痛切に思う。
 いまだに何人が抑留され、そのうち何人が死亡したのか、も定かでなく、「戦陣訓」で刷り込まれた「捕虜(当時は俘虜)」という身分についての誤解を解く措置も一切国はしていない。沖縄や広島・長崎のように国民がこぞって、極寒の地での犠牲者を悼む日や集いも用意されていない。
 私たちの手で、今年もスターリンが強制移送・抑留の秘密指令を出したとされる8月23日に午後1時から、「シベリア抑留犠牲者追悼の集い」を国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催する。ご遺族の方も含めて、ふるって多数ご参加いただきたいが、本当は国が主催すべき事業と思う。民間任せでなく、国が責任を持って対応し、仕組・体制も含めて強化される方向にチェンジしてほしい。

 →次ページに続く(シベリア抑留とは)

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