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2009年07月25日

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<シベリア抑留死亡者・名簿に刻す>村山常雄さんに聞く(4/10)



 Q 名簿作成の作業中はどんな生活だったのですか。

 名簿の打ち込みはエクセルを使い、朝食後の午前9時ごろからパソコンに向かい、お昼は20分ぐらいでさっさと済ませ、あとは夕方まで休憩なしでの作業でした。さらに、夕食後にもパソコンに向かい、夜中の12時ごろまで、ひたすら孤独な作業でしたね。それを支えたのは、ひとりでも多くの人名を入力しよういう気持ちだけです。入力作業中、何度も思ったのが、この名簿、果たして完成をみるのだろうかという不安でした。正直、自分のなかでも半信半疑のところがあったんです。
 私、血圧が高いんです。動脈硬化がすすんでいるので、8種類のクスリを服用しています。作業中もクスリだけは欠かせません。「もし、ここで倒れたら」という強迫観念が常につきまとい、肩凝りにも悩まされました。もともと凝りがひどいほうだったので、作業中、肩がパンパンに張ってくるんです。我慢ができなくなると、マッサージ屋さんまで出掛けていく。自宅から少し離れているので、車を使うんですが、その時間がとっても惜しいんです。仕方なく、マッサージ器を購入しました。肩凝りがひどくなったら、ほんの数分、パソコンを離れてマッサージを行い、またパソコンに向かう。その繰り返しでした。目は不思議と疲れなかったんですが、外で顔なじみに挨拶されたとき、その顔が判別できなかったことがあるので、目にも負担があったのでしょう。
 入力作業を始めた当初は、毎日30分ぐらい散歩するように心掛けていましたが、しばらくしてやめてしまいました。散歩の時間がもったいないんです。前々から通っていた太極拳の教室にしてもそうです。「いくら忙しくなっても太極拳にだけは通うようにしよう」と決めて、毎週金曜日の夜に出掛けて1時間半を費やしていましたが、この時間も惜しく感じられるようになってきて、終了する5分前には教室を抜け出し、家に帰って深夜までパソコンに向かいました。
 知人、友人を含め、誰にも何をやっているかは一切明かしていませんでした。出来なかったら恥ずかしいですからね。近所では「あの、おじいさん、最近、あんまり顔を見ないようだけど、体のほう、大丈夫かしら」なんて言われていたんでしょう(笑)。入力作業に日夜、没頭していることを知っていたのは女房ぐらいです。一人娘は、薄々知っていたかも知れませんが、私の口から言ったことはありません。ときに、孫に「おじいちゃん、何やってるの」と聞かれることもありましたが、どうせ言っても分からないだろうと適当に言葉を濁していました。

 Q 名簿の入力作業には、ほかにどんなハードルがありましたか。

 入力作業にはノルマを課していました。1日100人。それでいくと、5万人で500日の計算になります。だけど、いくら入力作業に慣れても名前の重複整理作業や漢字表記への変換作業などがあるので、実際にはそううまくはいきません。1日、20人という日もありました。一度、パソコンの操作を誤って、数千人分のデータを一瞬に失ったことがあります。入力作業を初めて2年目ぐらいのときでしたね。そのときは、さすがに落胆して死にたいほどでした。
 それと、小学校のときの同級生仲間との親睦旅行も重荷でしたね。定年後、毎年、2回ほど実施しているんですが、幹事はずっと私なんです。入力作業を始めてから、その旅行に参加したくないというのが本音でした。「行かない」と言うと角が立つので、「幹事を代わってくれないか」と言ったのですが、誰も代わってくれない。「名簿の入力作業に忙しい」とは言えませんでした。かりに、そう言っても誰も理解してくれないでしょう。ジレンマがありましたね。

 →次ページに続く(「国がやる仕事ではないか」と言われた)

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