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2009年08月17日

吉井 妙子 スポーツジャーナリスト 経歴はこちら>>

終戦記念日に考えた(1/3)

 「戦争体験と戦場体験は、基本的に意味が違う」。8月15日、朝日新聞が総選挙立候補予定者の戦争体験世代、子世代、孫世代の3世代に、<終戦記念日に何を思うか>を問い、その回答を踏まえてノンフィクション作家の保阪正康氏が寄せた感想の文頭の言葉だ。この鋭い視点にハッとさせられた。

 戦争を知らない世代の私は、どうしても第2次世界大戦を“観念的”に捉えてしまう。戦争体験者の手記や当時の資料を読み漁っても、「戦争は人類の最大の負の遺産」「二度と間違いを犯してはならない」など口走るぐらいが関の山だった。保阪氏が言う「悲惨な皮膚感覚の証言から、思い出や抽象的な教訓の継承」をしているに過ぎなかったのだ。

 保阪氏はこうも断じている。
 「単に教訓を継承するだけでは、やがてその風化が始まり、継承の質も変容しかねない。戦争体験の何をどう語り継ぐべきか、今は正念場ということかも知れない。そういう意味では、戦争を論理で語るより嫌悪感をすりこむべきだとの回答は相応の説得力がある。戦場の異常さを見つめることから逃げ出してはならない」

 もし、4年前にこのメッセージを読んだなら、相変わらず「そうだ」と納得しつつも、それこそ皮膚感覚で理解するだけで、身体の芯まで届かなかったかも知れない。

○「私はナチス強制収容所の生き残り…」

 05年6月、私は女子バレーボール実業団の監督から話がしたいと申し込まれた。医学博士の称号を持つアメリカ国籍のその監督は、日本の“根性バレー”に科学を持ち込み、自チームを何度も日本一に導いた名将である。しかし、個人的に話をしたことは一度もなかった。

 70歳を目前にした監督は、私と向き合った途端、「私のライフを聞いて欲しい」と切り出し、真剣な眼差しを向けてきた。
 「実は、私はサバイバーなのです」
 私は一瞬、「サバイバー」の意味が理解できなかった。きょとんとする私に、監督が畳み掛けた。
 「ナチスドイツのホロコースト政策の生き残りなんです」

 私はてっきり彼は米国人だと思い込んでいたが、米国とイスラエルの二重国籍を持つユダヤ人だという。2歳半から8歳まで強制収容所で過ごし、生と死の狭間を何とか生き延びて来た、と顔を歪めながら語った。

 「死は日常でした。特に僕のような子供は真っ先に殺戮の対象になった」
 第2次大戦時、ヒトラーがユダヤ人など600万人を虐殺したといわれ、その非道極まりない残忍ぶりは、60年以上過ぎた今でも世界中で語り継がれている。毒ガス、銃殺、撲殺、餓死、凍死、人体実験……。死に導く手段は際限なく執行された。

 悪名高いアウシュビッツを始めとする絶滅収容所、あるいは数十箇所あった強制収容所から、戦後まで生き延びて解放された人は5万人と言われる。
 生還者は「サバイバー」と呼ばれていた。その中で現在も生存している人は、ごく僅かである。彼はその貴重な生き証人だった。私は突然突きつけられた事実の重さに、息苦しくなった。

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