2009年04月08日
| 林 香里 | 東京大学大学院情報学環准教授 | 経歴はこちら>> |
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北朝鮮の「テポドン2」は、結局、日本のはるか上空を通り過ぎて、危害は加えなかった。けれども、日本の言論空間には大きな“爆弾”を落としていったのではないか。
ここ数日、日本のマスメディアは北朝鮮のミサイル情報一色に塗りつぶされた印象が私には残っている。つまり、一連のテポドン報道について、仮にもメディア各社に「方針」というようなものがあったとすれば、それは突出した「量」を紙面に許容するという、この点ではなかっただろうか。
○情報の「速さ」「量」だけでいいのか
確かに、こうした緊急事態においては、一次情報を国民に速報するということも、重要な報道機関の使命である。
その意味では「量」的な肥大も、一種の使命感に裏打ちされたもので、仕方のないことかもしれない。記者たちは全力投球の取材をしながら、全体的に「バランス」のとれた報道とか、「多様な意見」を反映させた報道とかを、実現させているつもりだったのだろう。
しかし、「世間の注目」を理由に、片っ端から取材した情報を掲載すれば、結局は受け手(読者、視聴者)の側の判断力は麻痺する。
しかも、結果的に「これはタダゴトではない」という漠然とした印象づくりに加担することになる。緊急時になると、むしろプロ魂が冷静な世論形成の妨げになることも、記者たちは少し心にとめておいたほうがいいのではないだろうか。
→次ページに続く(「世論」と言えるか疑問)