2009年06月26日
| 鷲田 清一 | 大阪大学総長、哲学者 | 経歴はこちら>> |
|---|
臓器移植法の改正が、衆議院で採決された。委員会での議論は9時間にも満たないものだったと聞く。あまりにも大きな問題がここには含まれており、ここで許される紙幅ではその全体について一つ一つ論じることはできないが、現時点でとにかく確認しておかねばならないと思われる点についてのみ記しておきたい。
今回改正されたのは、11年半前に採択された臓器移植法である。これはその3年後に「見直し」をするとしていたが、じつはその後現在までたなざらしにされてきたものである。その問題性については最後に書く。
今回の改正点でもっとも重要なことは、まず、「死の定義」が変更されたことである。現行法では、本人と家族の両方の同意があるときにかぎり、脳死となった人を死者とみなし、臓器を摘出できるとしている。これはつまり、移植を前提としたときのみ脳死は人の死とされるとするものである。しかも15歳未満の子どもからは臓器摘出できない。今回それが「改正」された。一律に「脳死を人の死とみなす」とされたのである。
こうした「改正」を待望する背景には、移植待機患者をどのようにしたら解消できるかという問題がある。小児の場合には、現在のところ海外での渡航移植しか手がないということもその背後にある。臓器提供の条件の緩和ということが、現行法改正の主眼点になっているのには、こうした差し迫った事情がある。
これに対して「改正」に慎重である人たち、あるいは反対する人たちが深く危惧するのは、技術的な問題と「そもそも」の問題とである。
技術的な問題というのは、小児にはしばしば長期脳死というケースも見受けられ、じっさいの脳死判定がきわめて難しいということである。これに論理的な問題をもつけ加えるならば、仮にもし小児についても精確な脳死判定の方法が確立したとしても、それはあくまで「脳死状態」の確定にすぎず、それで「死」であるかどうかは別の問題である。
さらにここからは、技術的な問題を超えて次のような問題も出てくる。昨日まで元気だった小児が、事故や病気で突然、脳死状態になった場合に、はたしてその家族に冷静で沈着な判断ができるのかという、これまた大きな問題である。
→次ページに続く(二律背反に引き裂かれる)