2009年06月09日
| 鷲田 清一 | 大阪大学総長、哲学者 | 経歴はこちら>> |
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「GM破綻」をめぐって、いくつかの読みごたえのある論評記事に出会った。いずれも新聞社の記者・編集委員が書いたものである。
外岡秀俊さんの「凋落 アメリカの夢」(朝日2009.6.2)は、かつて「アメリカの夢」であり、若者の「恋」の対象でもあった自動車が、時代のニーズの読み違えと「高福祉」の約束とがあだとなり、アメリカの自由と繁栄の「墓標」となりつつある現実を、米国取材での多数の証言から描きだす。そして国民総中流をめざした日本にとっても、「GMの黄昏」はもはや「他人事」ではないと警告している。(こうした取材旅行がすぐにできるなんて、正直なところちょっと羨ましい)。
坂井隆之さんと小松健一さんによる「GM破綻・1」(毎日2009.6.3)は、ディーラーの一人に焦点を絞り、GMの戦略拠点とされることで繁栄に浴したある町が、GMの引き揚げとともに荒れてゆき、地域社会の恐るべき空洞化をもたらしたあと、愛憎相半ばするなかで、砂を噛むような思いで地域コミュニティの再建に取り組むさまを、多面的に描きだす。
これは無署名だが、「大転換/揺らぐCEO神話・1」(日経2009.6.5)は、1932年に早くもCEO制度を導入したGMの、つい先頃まで「ミスターCEO」と呼ばれていたワゴナー氏が、株主・社員・退職者ら利害関係者の要求を満たすことを厳しく迫られるなかで、「越えてはならない一線」を越えざるをえなくなった事情について報告する。「虎の背に乗っているようで、食われずに降りる方法が分からなかった」という、インドのカリスマCEOの述懐が、あまりに生々しい。
「GM破綻」の報道記事とはちょっと距離をおいたこれらの論評は、事の意味するところを掘り下げ、報道だけからは読みとれないいくつかの背景を知らせてくれた。
→次ページに続く(サイエンスもフィロソフィーもない)