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2009年04月03日

鷲田 清一 大阪大学総長、哲学者 経歴はこちら>>

「受け身」という言葉に値しない受け身(2/3)


 取材といえば、わたしは電話取材は基本的に受けないことにしている。じぶんの意見ではなく「識者」の意見を載せることでまとめるというのは、他人の褌(ふんどし)で相撲を取っているようで、記事の執筆者として怠惰だとおもう。

 それに電話取材というのは、訊きたいほうはデスクに坐ったまま、訊かれるほうが電話口まで歩み、立って答えるというふうに、訊かれるほうが動かされる。わたしの感覚では、用事があるほうが相手のほうへ赴くのが筋である。

 記者さんたちとのつきあいでいちばん楽しいのは、いっしょに現地に行って、そこの空気に肌で触れながら、感想を述べあうときだ。あるいは、喫茶店の片隅で議論をがんがんぶつけあうときだ。
 わたしよりも現場の空気を隅々まで知っておられる記者の方との会話は勉強にもなる。

○患者「待つだけ」の臨床医もいる

 現場といえば、「臨床」という言葉を思い出す。臨床医あるいは臨床医学というときのあの「臨床」である。
 「臨床」は英語で“clinical” 。クリニカルというのは、ギリシャ語のクリーニコスを語源としており、ベッド(クリネー)に臥している病人のもとに行く医師を意味する。ベッドサイドに赴くということ、それがつまりクリニカルということである。

 いまの臨床現場では、逆に患者が医師のもとを訪れる。臨床医は診察室に座ったまま、「次の方」というふうに患者の来室を待つ。往診というのもないではないが、めったになされなくなった。
 診察のための装備が立派だからということもあるのだろうが、それにいまなら過重労働ということもあろうが、ならば臨床医ではなく病院医と名のったほうがいい。
 入院すれば回診もしてもらえようが、そのベッドは病者がふだん臥している寝床ではない。

  →次ページに続く(受動という名の怠惰)

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